戦国BASARAの二次創作文。
政宗、幸村、佐助、元親、元就が中心。
日々くだらない会話をしてます。
Posted by 今元絢 - 2008.07.21,Mon
一周年御礼企画部屋より転載。
またしつこく真田主従。
またしつこく真田主従。
弁丸:さぁすけぇえええ!!!!
佐助:うぉっ!?
帰還するなり襲ったのは、怒りを纏った叫び声と、強烈な体当たりだった。
身長差の関係上、腰骨に頭突きされる形になるので、かなり痛い。
佐助:わ、若サマ……いきなり何をしやがりますかね……
弁丸:何をしゃがみ込んでおるか佐助!休む前にまず、某に言うべき事があろう!
アンタの頭突きが痛いから蹲ってんだよ。
そんな事が言えよう筈もなく、溜息を付きながら向き直る。
佐助:何なんですか一体……俺、今帰ってきたばっかなんですよ?
弁丸:だから言っておるのだ!某が何に怒っているのか、分からぬ訳ではなかろうな!
………はて?とんと思い当たらない。
その思いが表情に出ていたのか、幼い主の顔がみるみる不機嫌になっていく。
あ、やばい。これまた泣くかも。
弁丸:ぶわかものぉおおおお!!!お前はそんな当然のことも分からぬのかぁあああ!!!!
予想に反し、飛んできたのは涙でなく、絶叫と混ざった唾飛沫であった。
とりあえず、顔を拭っておく。主はぶすぅっと膨れたまま、顔を睨み付けた。
此方が膝立ちで、丁度視線が同じ高さになる。真正面からの視線は、相当痛い。
弁丸:出かける前に自分が何をしたか、思い返してみよ。
佐助:出かける前?武具の手入れして、食料手配して、長と相談して……
弁丸:違う!そうではない!
主は益々不機嫌になったらしかった。拗ねたように口を突き出したまま、顔を背ける。
弁丸:………某に何も言わなかったではないか。
佐助:………。………ああ。
弁丸:「ああ」とは何だ、「ああ」とは!遠出の時は某に前もって言うよう申した筈だぞ。
佐助:だって、今度のはたかだか二日だし。
弁丸:長さの問題ではない!それに佐助、そなた今某が見つけるまで
報告にすら来なかったな。
佐助:……。だって、若サマに報告したって、何も分からないでしょう?
弁丸:だから、そういう問題ではないと言っておるのだ!
主はじたじたと足踏みをした。
自分が「よく理解できない」という顔をしているのが、何やら相当ご不満らしい。
弁丸:佐助。
佐助:はいよ。
弁丸:そなたの主は誰だ!
佐助:……。若サマです。
弁丸:ならば、某の元へ最初に来るが礼儀というもの!
佐助:……だって
弁丸:「だって」では無い!佐助は言い訳が多い!
佐助:はぁ……すんません……。
主はこほんと一つ、咳払いをした。
弁丸:外へ行くときは「いってきます」、帰ってきたら「ただいま」は当然であり、
欠かしてはならぬ大切な礼儀。肝に銘じよ、佐助!
佐助:……。……はいはい。
弁丸:適当な返事をするな!約束するのだ。
主は眉間に皺を寄せたまま、小指を突き出した。
この「指切り」という約束の仕方は、由来こそ恐ろしいが、
もっとこう、艶っぽいものではなかったろうか。
少なくとも断じて、こんな狛犬みたいな顔で言われる物ではなかったと思う。
これはなんだか、杯とか血判とか、そう言う物に近い気がするのだが。
溜息を付きながら、自分の指を絡ませた。
弁丸:よし、約束したぞ。
主は屈託なく、笑った。
この幼い主に仕えるようになって、幾月か過ぎた。
主は、今まで自分が生きてきた世界に、見たことのない気質を持っていた。
理解できぬ事で怒り、泣き、笑う。自分はその一つ一つに驚かされ、振り回さる。
不思議と嫌な気はしなかったが、体力は恐ろしく早く消耗するようになった。
やれ遊びに連れて行け、やれ稽古の相手をしろ、やれ腹が減った。
何かというと呼び出されるので、全く気が抜けない。
主に仕える前までは、さほど聞くことの無かった自分の名。
そもそも道具たる忍にとって、それは区別するための記号でしかなく、
無くても差し障りないとさえ思っていたものだが、
それまでの人生に聞いてきた量の三倍程、この幾月かで聞いている気がする。
弁丸:佐助~!
ほら、また。
佐助:何~?
弁丸:早う付いて来い!見せようと思って取っておいたのだ!
砂糖菓子がな、ビードロのように透き通っていてそれはそれは綺麗なのでござる♪
佐助:へぇ~、誰かに貰ったの?
弁丸:父上が土産に下さったのだ。日の光を……こう、吸い込んでな
しゃらしゃら~っと光るのでござる!
佐助:……でも砂糖菓子なんでしょ?若サマ、よく食べるの我慢したね。
弁丸:うむ……それは厳しい戦いでござった。
しかし……なんとしても食べてしまう前に見せてやりたかったのだ……。
佐助:……。
苦笑と共に、小さな溜息が漏れる。
主はきょとんと顔を見上げた。
佐助:ありがとね……若サマ。
弁丸:うむ、早う来い!輝きぶりを見せてやろうと、縁側においてきたのだ!
佐助:え……?縁側……?直に?
弁丸:そうだが?
佐助:まずいって!それ蟻塗れになっちゃうよ!
弁丸:なんと!?
佐助:急ぐよ若サマ!
弁丸:心得た!
任務から帰還したばかりで、疲れ果てていたはずの身体。
しかし共に廊下を走り抜けるその足は、とても軽く感じた。
――
佐助:え~……一週間ですかぁ……
命じられた一週間の任は、直ぐに発たねばならぬものだった。
あからさまに顔を顰めた自分に、忍隊の長は意外そうな顔を見せた。
忍長:不服か?
佐助:いや、俺は構わないんですけどね……またぐずる人が居るからさぁ……
その言葉に、長は小さな笑みを零した。この人が笑うとは珍しい。
あの幼い主に関わるようになってから、自分の身の回りの忍まで、
どこかおかしくなってしまったように感じる。
忍長:仕方有るまい。この任には変化の術が不可欠。お前以外のものは出払っておるし、
……まぁ、若様には気の毒だとは思うが、私から説明しておく。
付き添いの者も増やして、ご不満がないよう対処しよう。
佐助:それで納得してくれりゃいいんですがね……。
忍長:ほぉ……自分以外に代わりは出来ぬ、と?
佐助:い、いやいやいや!そこまでは言ってないけど!
慌ててばたばたと手を振る自分に、長は声を上げて笑った。
一体自分が何に慌てているのかもよく分からないが、
何かを見透かされたようで酷く気恥ずかしかった。
佐助:若サマぁ~……って、そりゃ寝てるよな。
屋根裏から部屋に降り立つと、案の定其処には、すっかり眠り込んでいる主の姿があった。
盛大に布団を蹴飛ばしたまま、すうすうと規則正しい寝息を立てている。
布団を掛け直してやってから、音を漏らさぬよう溜息を付いた。
佐助:ま、一週間程度だし、帰ってきてから謝りゃいいや。
そして自分は、その部屋を出た。
――
後で聞いた話になる。
自分が任に赴いたと聞いて、主は直ぐに信じなかったらしい。
弁丸:佐助が断りもなく居なくなるわけなかろう!そう約束したのだ!
従者達の制止も聞かず、屋敷内を探し回ったという。
弁丸:約束したのだ……。絶対、有り得ぬ。絶対……絶対……
挙げ句、屋敷内の者でさえ忌み嫌う、忍小屋にまでやってきて、
その襖を叩き壊さん勢いで開いたそうだ。
弁丸:約……そ…く……。
誰もいない部屋を見て、主は漸く、足を止めた。
その場にしゃがみ込んで、暫く誰とも、口を聞かなかったらしい。
――
長の言ったとおり、大した仕事ではなかった。
予定より一日早く切り上げ、帰還した。
さっさと帰らなければ、またどんな頭突きをされるか知れたものではない。
いつものように真田の当主の元、もしくは長の元へ行こうと思い……
しかし、足を止めた。
佐助:命令には、従っておきますか。
そして、幼い主の部屋へと向かった。
佐助:若サマ~?戻りましたよ~。
ひょこりと覗くと、果たして主の姿が其処にあった。
屋根裏から顔を出している自分に背を向け、文机に向かって何かを書いている。
勉強熱心なことだ、感心感心。等と思いながら、その背に近寄る。
佐助:行きがけには言いそびれちゃったからさ、せめて帰還後はご命令通り……
伸ばし掛けた手が、ぱしりと払われた。思わず言葉を無くす。
主は背を向けたまま、黙々と筆を動かし続けた。
佐助:あ、あの……若サマ……?怒ってるの……?だって若サマ寝て……
弁丸:言い訳など聞きとうない。
主は筆を乱暴においた。
まずい……これは相当、怒っている。
主は顔を向けぬ儘、横目でちらと自分の顔を見た。
弁丸:嘘つきめ。
胃の腑がヒヤリとするのを感じた。
今までにも、何も言わずに遠出に赴いたことは数度あった。
その時も主はむくれたり怒鳴ったりしていたが、こんな視線を向けられたのは初めてだ。
相手は十にも満たない子供だというのに、自分は何を恐れているのか。
佐助:あ、あのね若サマ?俺は……
弁丸:黙れ。もうお前など信じぬ。……顔も見とうない。
再び視線を文机に戻し、筆を執る。
自分はただ茫然として、少し頭を下げた後、部屋を辞すのが精一杯だった。
――
佐助:俺、確実にクビですね……
どんよりと項垂れる自分をみて、長は目を瞬かせた後、また盛大に笑った。
人が落ち込んでいるというのに、一体何が面白いのか。
先の主に負けぬ位の顰めっ面で、長を見上げる。
その視線に気付いたのか、長は何とか笑いを押さえ込んだ。
忍長:すまん……。いや、しかし……聞いている此方が居たたまれぬ……。
とことん気に入られたようだな、佐助。
佐助:俺の話聞いてた?顔も見たくないって言われてんですよ?
忍長:仕方なかろう。約束を違えたのはお前だ。若様が眠っていらっしゃったにせよ、
書き置きなりなんなり、誠意を見せねばならん。
佐助:武士の礼儀、ってやつですか。
忍長:人としての礼儀だ。
佐助:………。忍は人ならざる者、主が為の道具となれって教えてくだすったのは
アンタじゃありませんでしたっけねぇ?
忍長:まぁ、そうなのだがな。
佐助:いい加減な……。
忍長:だが、お前達を見ているとな……忍と言えど、生を受けた者で有る以上
人であることに抗えぬのだと、思う時がある。
佐助:………。俺は出来損ないってことですか……。
忍長:そうではない。ただ……若様の思いを酌んでやれと言っておるのだ。
佐助:んなこと言っても……。たかが一週間程度で、そこまで拗ねる事か……?
忍長:子供にとっての一週間は長いものよ。……まぁ精々必死に謝ることだな。
佐助:………。
――
酷く細く、頼りない月が出ていた。
人は満月を肴に酒を飲むが、こんな月には見向きもしないだろう。
だからこそ、自分はこんな月が好きだった。
屋根の上で一人見る、誰も見ない空。
沈黙の音さえ聞こえてきそうな、閑かな、閑かな夜。
佐助:その筈なんだけどなぁ……
今夜は何故か、全く気が和まない。
そもそも最近、何かというと「身の回り」が喧しいため、
こんな風に過ごすこと自体久しぶりだ。だというのに、酷く気が漫ろだ。
きっと自分は、あの喧しさに慣れてきているのだろう。
……と思ってしまってから、はっとする。
佐助:忍がそれじゃ駄目だろ……。
このままではひたすら気落ちするだけだ。もうさっさと降りて寝よう。
そう思い、腰を上げかけた時だった。
――自分の、名が聞こえた。
呼んでいる。
聞き違えようはずもない。
――その声が、近づいてくる。
呼んでいる。
何度も、何度も。
こんなにも必死に呼ぶことがあったろうか。
何かあったのか。その身に、何か。
そう思った瞬間、身体は自ずと動いていた。
持ちうる限りの速さで、声の元へ駆ける。
弁丸:佐助!佐助!
佐助:若サマ!?どうしたの!?何かあった!?
駆けつけた自分の顔を、主は茫然と眺めていた。
特に怪我などは負っていないらしい。ほっと息をつきつつ、その顔を覗き込む。
佐助:どうしたの?何か、急ぎの用……おわっ!?
いきなり飛び付かれ、情けない声が漏れた。
主は暫し我慢していたが、その顔がくしゃりと歪んだかと思うと、
堰を切ったように泣き出した。
弁丸:うあぁぁぁああぁぁああああぁぁ~……
佐助:え?だ、だからちょっと……何事?
弁丸:居たでござるぅぁぁ~……
佐助:え?あ?はい?居ましたけど……?
主はぐすぐすと洟を啜り、嗚咽を飲み込みながら言った。
弁丸:居なくなったかと思ったでござる……。
佐助:………何で?
弁丸:顔も……見たくない等と……言ってしまった……。
佐助:………。………ああ。
弁丸:「ああ」ではない!どれ程心配したと思っておるのだ!
佐助:そんなこと言われても……顔が見たくないってんなら見せないだけだよ。
出ていけって言われたんなら出ていくけど。
弁丸:そんなこと、言うはず無かろう!
主はきっと睨み付けた後、少し目を伏せ、再び自分の胸に額を押し当てた。
弁丸:某も……同罪だ。
佐助:同罪?
弁丸:嘘を、付いた。あれは……全部、嘘だ。
佐助:「あれ」って…?
弁丸:某は佐助を信じておる。傍に居て欲しいと、思うておるぞ。
佐助:…………………。
絶句した自分をちらと見上げ、主は首を傾げた。
弁丸:なんだ、その顔は。面白い顔でござるな。
佐助:いや……あの……それ、誰に教わったの……?
弁丸:何をだ?
誰だって、色に狂った馬鹿な男だって言うか怪しい歯の浮くような台詞を、
自分の身の丈の半分ほどしかない子供に言われたら、とりあえず絶句するしかあるまい。
居たたまれない。とても居たたまれない。
逃げてしまいたいところだが、がっちり掴まれていては其れもままならない。
佐助:あのねぇ…………若様。そういうのは大人になったら、
惚れた女にでも言ってやりなさい。
弁丸:ほ、ほれ?
佐助:まだ分かんなくていーの。全く……これじゃ立つ瀬無いじゃん……。
天井を見上げて溜息を付く自分に、主は再び首を傾げる。
弁丸:何故だ?
佐助:約束を破ったのは俺です。若様は何も、謝ることなんかない。
弁丸:しかし……
主を膝から降ろし、そと座らせる。自分はその前に膝を折り、頭を垂れた。
佐助:主が命に背いたこと、申し開きの次第もございません。
如何様な処分も受けましょう。
弁丸:処分など……
佐助:ただもし、もう一度機会をいただけるのなら、次は必ず、果たして見せます。
頭を上げ、ぽかんとしている主の顔を見て、微笑む。
佐助:約束するよ、今度は、絶対。
主は弾けるような笑顔で、再び自分の胸に飛び込んできた。
そのあまりの勢いと、首元に触れた髪がこそばゆかったのと、
いろいろな感情とで、自分は、声を上げて笑っていた。
生まれてこの方、彼程笑ったことなど無かったのではないかと思うほど。
ただ、素直に、嬉しいと感じた。
――
この戦国乱世。忍の仕事が尽きることはない。
それは単なる情報集めの時もあれば、血生臭いものの時も珍しくはない。
今回の場合は後者だった。
――暗殺
無論、当主が公言できるものではない。
それが子供である主に伝わる筈も無いのだが、不穏な空気を悟ってか、
握った袖を、なかなか離そうとしなかった。
佐助:大丈夫だよ、若様。いつもと何も変わらない。すぐに、帰ってくるから。
弁丸:本当に……本当だな?
佐助:本当だって。俺様が嘘付いたことある?
弁丸:ある。
佐助:おぉぅ……耳にいたいお言葉……。
弁丸:………佐助。
佐助:うん?
弁丸:約束、だぞ?必ず、帰るのだ。帰ってきて……言うてくれるな?
佐助:……うん。
――いってきます。
――
忍が捕らえられることなど、さして珍しいことではない。
まして今回は囮の役を担っていたのだから、その可能性は元々一番高かった。
引き付ける者達が先に入り、後から来たものが主の首を取る。単純だが、確実な方法だ。
だが、「捕らえられる」と言っても、忍の大半はその場で斬り捨てられることが多い。
その証拠に、自分と共に捕らえられた四人は、間もなく首を刎ねられた。
忍を捕らえたところで、無駄なことは分かっているからだ。
自分が生かして捕らえられたのは、多分、子忍であった為だろう。
子供であるが故に未熟。従って……
――口を割る前に、自ら果てる事はない。
みくびられたものだ、と思う。
今、目の前に立つ男は、怒りに我を忘れている。愚かなことだ。
子忍と侮り、追い詰める感触に酔い痴れて等いるから、主を失ったりする。
しかしこの男は、主を失った怒りより、どうやら己が謀られたことが我慢ならぬらしい。
自分を痛めつけるのも、口を割らせて仇の名を知りたいと言うよりは、
腹癒せに近いものらしかった。
――どこまでも、愚かだ。
頬を、額を、
爪を、首を、
引き裂き、打ち、締め上げる。
周囲で怯える従者達の目に気付くこともなく、
言え、言え、と叫びながら。お前は一体、何を言って欲しい?
仇の名か、懺悔か、懇願か。
悲鳴を上げる身体とは裏腹に、心は酷く閑かだった。
このまま痛みを受けたところで、自分が口を割らないことは分かっていた。
ただ、どうせ死ぬまで続けるのだろうと言うことも分かっていた。
それはそれで、面倒だ。ならば、取るべき道は、決まっている。
そして自分は、歯の間に舌を差し入れた。
――約束
言葉が、過ぎった。瞬間、虚ろになっていた視界が、開ける。
目の前にあるのは、乾いた地面と、動かぬ忍。そして、己の紅。
生憎これでは、約束など守れそうにない。
――嘘つき
そんな顔をされても、仕方ないだろう。
自分は忍。いつ果ててもおかしくない存在だったのだ。
心配せずとも、きっと直ぐに新たな部下が与えられよう。
成長し、存分に戦功を上げられるようになったら
毎日がめまぐるしく、きっと自分のことなど、すぐに忘れる。
だから何も、心配ない。
――傍に
嗚呼、なんと残酷な言葉だ。
この状況で、まだ動けと言うのだから。逝くことを、許してはくれないのだから。
佐助:まったく……忍使いの荒いことで……。
振り下ろされた刃の背を腕で払い除け、地を強く押して立ち上がる。
荒い息をしながら、男を見据えた。
武将:なっ……おのれ、今までの苦悶は、芝居だったと申すか。
芝居じゃねぇ、本当に痛かったってんだよ馬鹿野郎。
悪態を付く余裕はない。勢いよく立ち上がってしまったものの、策など無かった。
武器になる物と言えば、襟元に仕込ませた剃刀程度の刃のみ。
男だけでなく、従者も数人いる。
片腕片足しか使い物にならぬ状況では、切り抜けるのはどう考えても不可能だ。
――……否。
それまでしんと静まりかえっていた空が動き、風が舞い始める。踏みしめるは、乾いた砂。
そう……倒さずとも良い。
ただ、一時を稼げれば、それで。
帰る。
胸にあるのは、その一事。
煙幕となった砂埃が、男の視界を塞いだ。
――
弁丸:佐助はどうしたのだ?
その一言に、空気が凍る。なんの邪気もない幼子の言葉は、まるで刃物だった。
既に寝ているとばかり思っていた。当主に事の次第を報告しおえた忍隊の長は、
ゆっくりと振り返り、膝を折った。
忍長:若様には、新しい護衛を付けます故、ご安心下さい。
弁丸:新……しい?
忍長:………。
弁丸:佐助はどうしたのだ……?何があった!?申せ!
忍長:………。他数名と共に、敵方に捕らわれました。
顔を見ていられないというように、長は頭を垂れたままだった。
弁丸:……早う……助けに行かねばならぬではないか。
忍長:捕らわれている者がいる状態で行けば、真田の策が知られる恐れがあります。
既に任は果たしております故、これ以上動かぬが上策かと。
弁丸:そなた……佐助達を見捨てて参ったのか!?
忍長:彼奴等は囮の任を見事にこなして見せました。その後に離脱出来ぬは
自身の不徳の為す所。我等が参じ、策が、主が割れてしまっては、
元も子もございませぬ。彼奴等も恨みになど思いますまい。
弁丸:捨てたのだな……
忍長:忍とは、そういう物でございます。
暫し、黙っていた。しかしそのままくるりと後ろを向き、何処かへ歩き出す。
忍長:若様……?
弁丸:貴様が行かぬなら、某が行く。……槍を持て。
忍長:何を申されます!このような時に外へなど……
弁丸:某は部下を捨てたりはせぬ!臆病者は黙って見ておれ!
忍長:もう生きてはおりませぬ!
一際強く響いた声に、足が止まった。幼子は、今にも泣き出しそうな表情で振り返る。
長は声音を落とし、閑かに告げた。
忍長:捕らわれし時は、相手の手が触れる前に自ら果てる。
忍ならば子供であろうと、その教えに従います。
弁丸:………。
忍長:逃げ延びた者が、佐助と共に捕らえられた者等が殺められるのを見ております。
例え、己で果てずとも、定めは変わりますまい。
幼子は、長の手も微かに震えているのに気付いていた。
その手に、己の手をそと重ね、ぼんやり空を見つめながら呟いた。
弁丸:佐助は……帰って、来ぬのか?
忍長:………。
弁丸:帰って……来ぬのか?
――大きな、物音がした。
反射的に視線を向ける。
ず……ず…と、引きずる足が、地を擦る音がした。
草木の間から進み出た影は、庭で崩れるように倒れ込む。
弁丸:佐助!
裸足の儘、地面に降りて駆け寄る。
濁った痣。腫れ上がった足。肩から、腹から溢れる、夥しい紅。
今にも途絶えそうな、弱々しい息だった。
――わかさま……
頬に伸ばされた、腕。縋るように、掴む。
それは血と土埃で、赤黒く染まっていた。
弁丸:佐助……佐助……!
――やくそく……
弁丸:……っ!
――「今度は、絶対、守るから。」
吐息より、もっとずっと、微かな声で。
忍は、笑んだ。
――……ただいま。
――
何があったのか、良く思い出せない。ただぼんやりと、目を覚ます。
腕が、足が、無理に動かしたことを批難するように、容赦なく鈍い痛みを伝えてくる。
深手を負った腹は、未だに重く……
佐助:って、アンタかよ……
視線を向ければ、そこに有るのはあどけない寝顔。
自分の腹を枕代わりに、すっかり眠りこけている。
ただその表情は安らかとは言えず、嫌な夢でも見ているかのように
ぎゅっと口を綴じ、その手は布団の端を握り締めていた。
起こすのも悪いと思ったが、このままでは床にはみ出している小さな足が冷えてしまう。
まだ痛みの残る腕を持ち上げ、その額に触れた。
佐助:若様……?
弁丸:ん……
瞼が、ゆるりと持ち上がる。見下ろす自分と視線が合い……
弁丸:佐助!
佐助:うぉいっ!
勢いよく飛び起きた。……深手を負っていたはずの、自分の腹に手を付いて。
稲妻のように走り抜ける激痛に、妙な悲鳴を上げて蹲る。
弁丸:すすすすまぬ!!!わ、態とではないのだ……
佐助:分かってる……分かってます……。でもこれはちょっと……きついか……も……
弁丸:うあぁぁああ!!!死ぬな佐助ぇええええ!!!!
主は涙目になりながら、肩に縋ってきた。
寝起きな所為か、やたらと身体か温かい。
苦笑しながら、その頭を撫でてやる。
佐助:もう、大丈夫ですよ。意識がありゃ、死にゃしませんて。
弁丸:本当か……?
佐助:本当だよ。ただ……ちょいとお休みをいただかないとならないけどね。
主は頭を撫でる自分の手を取り、じっと見つめた。
半分ほど、剥げた爪。なんとまぁ、ものの見事に剥がれたものだ。
剥き出しの皮膚に、主はまるで自分の傷を見たように顔を歪める。
佐助:放っておけば、またすぐ生えるよ。
弁丸:だが……痛いであろう?
佐助:大したことない。
弁丸:嘘をつくな。先程呻いておったではないか。
佐助:それはアンタが強烈な突きを入れてくれたからでしょうが……。
っていうか……あんまり見ない方が良いよ。
弁丸:何故だ。
佐助:何故って……気持ち悪いでしょ?じろじろ見たって、何の得にも……
弁丸:気持ち悪くなどない!
佐助:………!?
弁丸:そんな……ことは……ない。
ぽかんとする自分を余所に、主は願いでも掛けるように、額をその手に押し当てた。
弁丸:よく……帰ってきてくれた……。礼を言うぞ、佐助。
佐助:………。別に有り難がられることじゃないと思うんだけど。
そもそもこれ、忍としては失格だよ。手前の命が惜しくて、帰ってきたんだから。
多分俺、怪我直ったら長に半殺しにされるね。
弁丸:某は、それを悪い等と思……
佐助:若さま。
主の言葉を遮り、視線を上げた。それは今にも溢れそうなほど潤んだ目と、しかと混じる。
佐助:出来損ないでも、俺は忍だから……命令は、守るよ。
アンタが斬れって言う奴は斬るし、死ねって言われりゃ、今すぐにでも死ねる。
弁丸:そっ……!
佐助:でも、アンタが帰って来いって言ったから……
――汚れても、這いずってでも、
掟に背くことだと、分かっていても
佐助:帰ってきた、それだけ。
主はじっと黙っていたが、少し悲しそうに目を伏せた。
弁丸:それは……「命令」だからなのか……?
佐助:……?
弁丸:「命令」でないと、駄目、なのか?
嗚呼、成程。何を言いたいのか、理解できた。
全く、この子供は、何処までも……
佐助:「約束」、だったよね?
弁丸:……っ!……うむ、約束だ。
漸くその表情から、悲しみの色が消えた。
代わりに屈託のない笑顔が、広がっていく。
此方も思わず、つられてしまう程の。
主は自分の傍らに寝転がって頬杖を付き、期待に満ちた表情を向けた。
足をばたつかせながら、弾む声で言う。
弁丸:佐助、もう一度言うてくれぬか?
佐助:……?何を…?
弁丸:決まっておるであろう!
………。
何を照れているのか知らないが、思い切り傷のある右肩を
ばしばし叩くのは止めていただきたい。まぁ、痛いことを除けば……
……正直満更でもないのだが。
佐助:ええと、じゃあ……
咳払いを、ひとつ。改まると、少々言いにくいものだ。
――ただいま。
主は、微笑んだ。心から、嬉しそうに。
――おかえり。
佐助:うぉっ!?
帰還するなり襲ったのは、怒りを纏った叫び声と、強烈な体当たりだった。
身長差の関係上、腰骨に頭突きされる形になるので、かなり痛い。
佐助:わ、若サマ……いきなり何をしやがりますかね……
弁丸:何をしゃがみ込んでおるか佐助!休む前にまず、某に言うべき事があろう!
アンタの頭突きが痛いから蹲ってんだよ。
そんな事が言えよう筈もなく、溜息を付きながら向き直る。
佐助:何なんですか一体……俺、今帰ってきたばっかなんですよ?
弁丸:だから言っておるのだ!某が何に怒っているのか、分からぬ訳ではなかろうな!
………はて?とんと思い当たらない。
その思いが表情に出ていたのか、幼い主の顔がみるみる不機嫌になっていく。
あ、やばい。これまた泣くかも。
弁丸:ぶわかものぉおおおお!!!お前はそんな当然のことも分からぬのかぁあああ!!!!
予想に反し、飛んできたのは涙でなく、絶叫と混ざった唾飛沫であった。
とりあえず、顔を拭っておく。主はぶすぅっと膨れたまま、顔を睨み付けた。
此方が膝立ちで、丁度視線が同じ高さになる。真正面からの視線は、相当痛い。
弁丸:出かける前に自分が何をしたか、思い返してみよ。
佐助:出かける前?武具の手入れして、食料手配して、長と相談して……
弁丸:違う!そうではない!
主は益々不機嫌になったらしかった。拗ねたように口を突き出したまま、顔を背ける。
弁丸:………某に何も言わなかったではないか。
佐助:………。………ああ。
弁丸:「ああ」とは何だ、「ああ」とは!遠出の時は某に前もって言うよう申した筈だぞ。
佐助:だって、今度のはたかだか二日だし。
弁丸:長さの問題ではない!それに佐助、そなた今某が見つけるまで
報告にすら来なかったな。
佐助:……。だって、若サマに報告したって、何も分からないでしょう?
弁丸:だから、そういう問題ではないと言っておるのだ!
主はじたじたと足踏みをした。
自分が「よく理解できない」という顔をしているのが、何やら相当ご不満らしい。
弁丸:佐助。
佐助:はいよ。
弁丸:そなたの主は誰だ!
佐助:……。若サマです。
弁丸:ならば、某の元へ最初に来るが礼儀というもの!
佐助:……だって
弁丸:「だって」では無い!佐助は言い訳が多い!
佐助:はぁ……すんません……。
主はこほんと一つ、咳払いをした。
弁丸:外へ行くときは「いってきます」、帰ってきたら「ただいま」は当然であり、
欠かしてはならぬ大切な礼儀。肝に銘じよ、佐助!
佐助:……。……はいはい。
弁丸:適当な返事をするな!約束するのだ。
主は眉間に皺を寄せたまま、小指を突き出した。
この「指切り」という約束の仕方は、由来こそ恐ろしいが、
もっとこう、艶っぽいものではなかったろうか。
少なくとも断じて、こんな狛犬みたいな顔で言われる物ではなかったと思う。
これはなんだか、杯とか血判とか、そう言う物に近い気がするのだが。
溜息を付きながら、自分の指を絡ませた。
弁丸:よし、約束したぞ。
主は屈託なく、笑った。
この幼い主に仕えるようになって、幾月か過ぎた。
主は、今まで自分が生きてきた世界に、見たことのない気質を持っていた。
理解できぬ事で怒り、泣き、笑う。自分はその一つ一つに驚かされ、振り回さる。
不思議と嫌な気はしなかったが、体力は恐ろしく早く消耗するようになった。
やれ遊びに連れて行け、やれ稽古の相手をしろ、やれ腹が減った。
何かというと呼び出されるので、全く気が抜けない。
主に仕える前までは、さほど聞くことの無かった自分の名。
そもそも道具たる忍にとって、それは区別するための記号でしかなく、
無くても差し障りないとさえ思っていたものだが、
それまでの人生に聞いてきた量の三倍程、この幾月かで聞いている気がする。
弁丸:佐助~!
ほら、また。
佐助:何~?
弁丸:早う付いて来い!見せようと思って取っておいたのだ!
砂糖菓子がな、ビードロのように透き通っていてそれはそれは綺麗なのでござる♪
佐助:へぇ~、誰かに貰ったの?
弁丸:父上が土産に下さったのだ。日の光を……こう、吸い込んでな
しゃらしゃら~っと光るのでござる!
佐助:……でも砂糖菓子なんでしょ?若サマ、よく食べるの我慢したね。
弁丸:うむ……それは厳しい戦いでござった。
しかし……なんとしても食べてしまう前に見せてやりたかったのだ……。
佐助:……。
苦笑と共に、小さな溜息が漏れる。
主はきょとんと顔を見上げた。
佐助:ありがとね……若サマ。
弁丸:うむ、早う来い!輝きぶりを見せてやろうと、縁側においてきたのだ!
佐助:え……?縁側……?直に?
弁丸:そうだが?
佐助:まずいって!それ蟻塗れになっちゃうよ!
弁丸:なんと!?
佐助:急ぐよ若サマ!
弁丸:心得た!
任務から帰還したばかりで、疲れ果てていたはずの身体。
しかし共に廊下を走り抜けるその足は、とても軽く感じた。
――
佐助:え~……一週間ですかぁ……
命じられた一週間の任は、直ぐに発たねばならぬものだった。
あからさまに顔を顰めた自分に、忍隊の長は意外そうな顔を見せた。
忍長:不服か?
佐助:いや、俺は構わないんですけどね……またぐずる人が居るからさぁ……
その言葉に、長は小さな笑みを零した。この人が笑うとは珍しい。
あの幼い主に関わるようになってから、自分の身の回りの忍まで、
どこかおかしくなってしまったように感じる。
忍長:仕方有るまい。この任には変化の術が不可欠。お前以外のものは出払っておるし、
……まぁ、若様には気の毒だとは思うが、私から説明しておく。
付き添いの者も増やして、ご不満がないよう対処しよう。
佐助:それで納得してくれりゃいいんですがね……。
忍長:ほぉ……自分以外に代わりは出来ぬ、と?
佐助:い、いやいやいや!そこまでは言ってないけど!
慌ててばたばたと手を振る自分に、長は声を上げて笑った。
一体自分が何に慌てているのかもよく分からないが、
何かを見透かされたようで酷く気恥ずかしかった。
佐助:若サマぁ~……って、そりゃ寝てるよな。
屋根裏から部屋に降り立つと、案の定其処には、すっかり眠り込んでいる主の姿があった。
盛大に布団を蹴飛ばしたまま、すうすうと規則正しい寝息を立てている。
布団を掛け直してやってから、音を漏らさぬよう溜息を付いた。
佐助:ま、一週間程度だし、帰ってきてから謝りゃいいや。
そして自分は、その部屋を出た。
――
後で聞いた話になる。
自分が任に赴いたと聞いて、主は直ぐに信じなかったらしい。
弁丸:佐助が断りもなく居なくなるわけなかろう!そう約束したのだ!
従者達の制止も聞かず、屋敷内を探し回ったという。
弁丸:約束したのだ……。絶対、有り得ぬ。絶対……絶対……
挙げ句、屋敷内の者でさえ忌み嫌う、忍小屋にまでやってきて、
その襖を叩き壊さん勢いで開いたそうだ。
弁丸:約……そ…く……。
誰もいない部屋を見て、主は漸く、足を止めた。
その場にしゃがみ込んで、暫く誰とも、口を聞かなかったらしい。
――
長の言ったとおり、大した仕事ではなかった。
予定より一日早く切り上げ、帰還した。
さっさと帰らなければ、またどんな頭突きをされるか知れたものではない。
いつものように真田の当主の元、もしくは長の元へ行こうと思い……
しかし、足を止めた。
佐助:命令には、従っておきますか。
そして、幼い主の部屋へと向かった。
佐助:若サマ~?戻りましたよ~。
ひょこりと覗くと、果たして主の姿が其処にあった。
屋根裏から顔を出している自分に背を向け、文机に向かって何かを書いている。
勉強熱心なことだ、感心感心。等と思いながら、その背に近寄る。
佐助:行きがけには言いそびれちゃったからさ、せめて帰還後はご命令通り……
伸ばし掛けた手が、ぱしりと払われた。思わず言葉を無くす。
主は背を向けたまま、黙々と筆を動かし続けた。
佐助:あ、あの……若サマ……?怒ってるの……?だって若サマ寝て……
弁丸:言い訳など聞きとうない。
主は筆を乱暴においた。
まずい……これは相当、怒っている。
主は顔を向けぬ儘、横目でちらと自分の顔を見た。
弁丸:嘘つきめ。
胃の腑がヒヤリとするのを感じた。
今までにも、何も言わずに遠出に赴いたことは数度あった。
その時も主はむくれたり怒鳴ったりしていたが、こんな視線を向けられたのは初めてだ。
相手は十にも満たない子供だというのに、自分は何を恐れているのか。
佐助:あ、あのね若サマ?俺は……
弁丸:黙れ。もうお前など信じぬ。……顔も見とうない。
再び視線を文机に戻し、筆を執る。
自分はただ茫然として、少し頭を下げた後、部屋を辞すのが精一杯だった。
――
佐助:俺、確実にクビですね……
どんよりと項垂れる自分をみて、長は目を瞬かせた後、また盛大に笑った。
人が落ち込んでいるというのに、一体何が面白いのか。
先の主に負けぬ位の顰めっ面で、長を見上げる。
その視線に気付いたのか、長は何とか笑いを押さえ込んだ。
忍長:すまん……。いや、しかし……聞いている此方が居たたまれぬ……。
とことん気に入られたようだな、佐助。
佐助:俺の話聞いてた?顔も見たくないって言われてんですよ?
忍長:仕方なかろう。約束を違えたのはお前だ。若様が眠っていらっしゃったにせよ、
書き置きなりなんなり、誠意を見せねばならん。
佐助:武士の礼儀、ってやつですか。
忍長:人としての礼儀だ。
佐助:………。忍は人ならざる者、主が為の道具となれって教えてくだすったのは
アンタじゃありませんでしたっけねぇ?
忍長:まぁ、そうなのだがな。
佐助:いい加減な……。
忍長:だが、お前達を見ているとな……忍と言えど、生を受けた者で有る以上
人であることに抗えぬのだと、思う時がある。
佐助:………。俺は出来損ないってことですか……。
忍長:そうではない。ただ……若様の思いを酌んでやれと言っておるのだ。
佐助:んなこと言っても……。たかが一週間程度で、そこまで拗ねる事か……?
忍長:子供にとっての一週間は長いものよ。……まぁ精々必死に謝ることだな。
佐助:………。
――
酷く細く、頼りない月が出ていた。
人は満月を肴に酒を飲むが、こんな月には見向きもしないだろう。
だからこそ、自分はこんな月が好きだった。
屋根の上で一人見る、誰も見ない空。
沈黙の音さえ聞こえてきそうな、閑かな、閑かな夜。
佐助:その筈なんだけどなぁ……
今夜は何故か、全く気が和まない。
そもそも最近、何かというと「身の回り」が喧しいため、
こんな風に過ごすこと自体久しぶりだ。だというのに、酷く気が漫ろだ。
きっと自分は、あの喧しさに慣れてきているのだろう。
……と思ってしまってから、はっとする。
佐助:忍がそれじゃ駄目だろ……。
このままではひたすら気落ちするだけだ。もうさっさと降りて寝よう。
そう思い、腰を上げかけた時だった。
――自分の、名が聞こえた。
呼んでいる。
聞き違えようはずもない。
――その声が、近づいてくる。
呼んでいる。
何度も、何度も。
こんなにも必死に呼ぶことがあったろうか。
何かあったのか。その身に、何か。
そう思った瞬間、身体は自ずと動いていた。
持ちうる限りの速さで、声の元へ駆ける。
弁丸:佐助!佐助!
佐助:若サマ!?どうしたの!?何かあった!?
駆けつけた自分の顔を、主は茫然と眺めていた。
特に怪我などは負っていないらしい。ほっと息をつきつつ、その顔を覗き込む。
佐助:どうしたの?何か、急ぎの用……おわっ!?
いきなり飛び付かれ、情けない声が漏れた。
主は暫し我慢していたが、その顔がくしゃりと歪んだかと思うと、
堰を切ったように泣き出した。
弁丸:うあぁぁぁああぁぁああああぁぁ~……
佐助:え?だ、だからちょっと……何事?
弁丸:居たでござるぅぁぁ~……
佐助:え?あ?はい?居ましたけど……?
主はぐすぐすと洟を啜り、嗚咽を飲み込みながら言った。
弁丸:居なくなったかと思ったでござる……。
佐助:………何で?
弁丸:顔も……見たくない等と……言ってしまった……。
佐助:………。………ああ。
弁丸:「ああ」ではない!どれ程心配したと思っておるのだ!
佐助:そんなこと言われても……顔が見たくないってんなら見せないだけだよ。
出ていけって言われたんなら出ていくけど。
弁丸:そんなこと、言うはず無かろう!
主はきっと睨み付けた後、少し目を伏せ、再び自分の胸に額を押し当てた。
弁丸:某も……同罪だ。
佐助:同罪?
弁丸:嘘を、付いた。あれは……全部、嘘だ。
佐助:「あれ」って…?
弁丸:某は佐助を信じておる。傍に居て欲しいと、思うておるぞ。
佐助:…………………。
絶句した自分をちらと見上げ、主は首を傾げた。
弁丸:なんだ、その顔は。面白い顔でござるな。
佐助:いや……あの……それ、誰に教わったの……?
弁丸:何をだ?
誰だって、色に狂った馬鹿な男だって言うか怪しい歯の浮くような台詞を、
自分の身の丈の半分ほどしかない子供に言われたら、とりあえず絶句するしかあるまい。
居たたまれない。とても居たたまれない。
逃げてしまいたいところだが、がっちり掴まれていては其れもままならない。
佐助:あのねぇ…………若様。そういうのは大人になったら、
惚れた女にでも言ってやりなさい。
弁丸:ほ、ほれ?
佐助:まだ分かんなくていーの。全く……これじゃ立つ瀬無いじゃん……。
天井を見上げて溜息を付く自分に、主は再び首を傾げる。
弁丸:何故だ?
佐助:約束を破ったのは俺です。若様は何も、謝ることなんかない。
弁丸:しかし……
主を膝から降ろし、そと座らせる。自分はその前に膝を折り、頭を垂れた。
佐助:主が命に背いたこと、申し開きの次第もございません。
如何様な処分も受けましょう。
弁丸:処分など……
佐助:ただもし、もう一度機会をいただけるのなら、次は必ず、果たして見せます。
頭を上げ、ぽかんとしている主の顔を見て、微笑む。
佐助:約束するよ、今度は、絶対。
主は弾けるような笑顔で、再び自分の胸に飛び込んできた。
そのあまりの勢いと、首元に触れた髪がこそばゆかったのと、
いろいろな感情とで、自分は、声を上げて笑っていた。
生まれてこの方、彼程笑ったことなど無かったのではないかと思うほど。
ただ、素直に、嬉しいと感じた。
――
この戦国乱世。忍の仕事が尽きることはない。
それは単なる情報集めの時もあれば、血生臭いものの時も珍しくはない。
今回の場合は後者だった。
――暗殺
無論、当主が公言できるものではない。
それが子供である主に伝わる筈も無いのだが、不穏な空気を悟ってか、
握った袖を、なかなか離そうとしなかった。
佐助:大丈夫だよ、若様。いつもと何も変わらない。すぐに、帰ってくるから。
弁丸:本当に……本当だな?
佐助:本当だって。俺様が嘘付いたことある?
弁丸:ある。
佐助:おぉぅ……耳にいたいお言葉……。
弁丸:………佐助。
佐助:うん?
弁丸:約束、だぞ?必ず、帰るのだ。帰ってきて……言うてくれるな?
佐助:……うん。
――いってきます。
――
忍が捕らえられることなど、さして珍しいことではない。
まして今回は囮の役を担っていたのだから、その可能性は元々一番高かった。
引き付ける者達が先に入り、後から来たものが主の首を取る。単純だが、確実な方法だ。
だが、「捕らえられる」と言っても、忍の大半はその場で斬り捨てられることが多い。
その証拠に、自分と共に捕らえられた四人は、間もなく首を刎ねられた。
忍を捕らえたところで、無駄なことは分かっているからだ。
自分が生かして捕らえられたのは、多分、子忍であった為だろう。
子供であるが故に未熟。従って……
――口を割る前に、自ら果てる事はない。
みくびられたものだ、と思う。
今、目の前に立つ男は、怒りに我を忘れている。愚かなことだ。
子忍と侮り、追い詰める感触に酔い痴れて等いるから、主を失ったりする。
しかしこの男は、主を失った怒りより、どうやら己が謀られたことが我慢ならぬらしい。
自分を痛めつけるのも、口を割らせて仇の名を知りたいと言うよりは、
腹癒せに近いものらしかった。
――どこまでも、愚かだ。
頬を、額を、
爪を、首を、
引き裂き、打ち、締め上げる。
周囲で怯える従者達の目に気付くこともなく、
言え、言え、と叫びながら。お前は一体、何を言って欲しい?
仇の名か、懺悔か、懇願か。
悲鳴を上げる身体とは裏腹に、心は酷く閑かだった。
このまま痛みを受けたところで、自分が口を割らないことは分かっていた。
ただ、どうせ死ぬまで続けるのだろうと言うことも分かっていた。
それはそれで、面倒だ。ならば、取るべき道は、決まっている。
そして自分は、歯の間に舌を差し入れた。
――約束
言葉が、過ぎった。瞬間、虚ろになっていた視界が、開ける。
目の前にあるのは、乾いた地面と、動かぬ忍。そして、己の紅。
生憎これでは、約束など守れそうにない。
――嘘つき
そんな顔をされても、仕方ないだろう。
自分は忍。いつ果ててもおかしくない存在だったのだ。
心配せずとも、きっと直ぐに新たな部下が与えられよう。
成長し、存分に戦功を上げられるようになったら
毎日がめまぐるしく、きっと自分のことなど、すぐに忘れる。
だから何も、心配ない。
――傍に
嗚呼、なんと残酷な言葉だ。
この状況で、まだ動けと言うのだから。逝くことを、許してはくれないのだから。
佐助:まったく……忍使いの荒いことで……。
振り下ろされた刃の背を腕で払い除け、地を強く押して立ち上がる。
荒い息をしながら、男を見据えた。
武将:なっ……おのれ、今までの苦悶は、芝居だったと申すか。
芝居じゃねぇ、本当に痛かったってんだよ馬鹿野郎。
悪態を付く余裕はない。勢いよく立ち上がってしまったものの、策など無かった。
武器になる物と言えば、襟元に仕込ませた剃刀程度の刃のみ。
男だけでなく、従者も数人いる。
片腕片足しか使い物にならぬ状況では、切り抜けるのはどう考えても不可能だ。
――……否。
それまでしんと静まりかえっていた空が動き、風が舞い始める。踏みしめるは、乾いた砂。
そう……倒さずとも良い。
ただ、一時を稼げれば、それで。
帰る。
胸にあるのは、その一事。
煙幕となった砂埃が、男の視界を塞いだ。
――
弁丸:佐助はどうしたのだ?
その一言に、空気が凍る。なんの邪気もない幼子の言葉は、まるで刃物だった。
既に寝ているとばかり思っていた。当主に事の次第を報告しおえた忍隊の長は、
ゆっくりと振り返り、膝を折った。
忍長:若様には、新しい護衛を付けます故、ご安心下さい。
弁丸:新……しい?
忍長:………。
弁丸:佐助はどうしたのだ……?何があった!?申せ!
忍長:………。他数名と共に、敵方に捕らわれました。
顔を見ていられないというように、長は頭を垂れたままだった。
弁丸:……早う……助けに行かねばならぬではないか。
忍長:捕らわれている者がいる状態で行けば、真田の策が知られる恐れがあります。
既に任は果たしております故、これ以上動かぬが上策かと。
弁丸:そなた……佐助達を見捨てて参ったのか!?
忍長:彼奴等は囮の任を見事にこなして見せました。その後に離脱出来ぬは
自身の不徳の為す所。我等が参じ、策が、主が割れてしまっては、
元も子もございませぬ。彼奴等も恨みになど思いますまい。
弁丸:捨てたのだな……
忍長:忍とは、そういう物でございます。
暫し、黙っていた。しかしそのままくるりと後ろを向き、何処かへ歩き出す。
忍長:若様……?
弁丸:貴様が行かぬなら、某が行く。……槍を持て。
忍長:何を申されます!このような時に外へなど……
弁丸:某は部下を捨てたりはせぬ!臆病者は黙って見ておれ!
忍長:もう生きてはおりませぬ!
一際強く響いた声に、足が止まった。幼子は、今にも泣き出しそうな表情で振り返る。
長は声音を落とし、閑かに告げた。
忍長:捕らわれし時は、相手の手が触れる前に自ら果てる。
忍ならば子供であろうと、その教えに従います。
弁丸:………。
忍長:逃げ延びた者が、佐助と共に捕らえられた者等が殺められるのを見ております。
例え、己で果てずとも、定めは変わりますまい。
幼子は、長の手も微かに震えているのに気付いていた。
その手に、己の手をそと重ね、ぼんやり空を見つめながら呟いた。
弁丸:佐助は……帰って、来ぬのか?
忍長:………。
弁丸:帰って……来ぬのか?
――大きな、物音がした。
反射的に視線を向ける。
ず……ず…と、引きずる足が、地を擦る音がした。
草木の間から進み出た影は、庭で崩れるように倒れ込む。
弁丸:佐助!
裸足の儘、地面に降りて駆け寄る。
濁った痣。腫れ上がった足。肩から、腹から溢れる、夥しい紅。
今にも途絶えそうな、弱々しい息だった。
――わかさま……
頬に伸ばされた、腕。縋るように、掴む。
それは血と土埃で、赤黒く染まっていた。
弁丸:佐助……佐助……!
――やくそく……
弁丸:……っ!
――「今度は、絶対、守るから。」
吐息より、もっとずっと、微かな声で。
忍は、笑んだ。
――……ただいま。
――
何があったのか、良く思い出せない。ただぼんやりと、目を覚ます。
腕が、足が、無理に動かしたことを批難するように、容赦なく鈍い痛みを伝えてくる。
深手を負った腹は、未だに重く……
佐助:って、アンタかよ……
視線を向ければ、そこに有るのはあどけない寝顔。
自分の腹を枕代わりに、すっかり眠りこけている。
ただその表情は安らかとは言えず、嫌な夢でも見ているかのように
ぎゅっと口を綴じ、その手は布団の端を握り締めていた。
起こすのも悪いと思ったが、このままでは床にはみ出している小さな足が冷えてしまう。
まだ痛みの残る腕を持ち上げ、その額に触れた。
佐助:若様……?
弁丸:ん……
瞼が、ゆるりと持ち上がる。見下ろす自分と視線が合い……
弁丸:佐助!
佐助:うぉいっ!
勢いよく飛び起きた。……深手を負っていたはずの、自分の腹に手を付いて。
稲妻のように走り抜ける激痛に、妙な悲鳴を上げて蹲る。
弁丸:すすすすまぬ!!!わ、態とではないのだ……
佐助:分かってる……分かってます……。でもこれはちょっと……きついか……も……
弁丸:うあぁぁああ!!!死ぬな佐助ぇええええ!!!!
主は涙目になりながら、肩に縋ってきた。
寝起きな所為か、やたらと身体か温かい。
苦笑しながら、その頭を撫でてやる。
佐助:もう、大丈夫ですよ。意識がありゃ、死にゃしませんて。
弁丸:本当か……?
佐助:本当だよ。ただ……ちょいとお休みをいただかないとならないけどね。
主は頭を撫でる自分の手を取り、じっと見つめた。
半分ほど、剥げた爪。なんとまぁ、ものの見事に剥がれたものだ。
剥き出しの皮膚に、主はまるで自分の傷を見たように顔を歪める。
佐助:放っておけば、またすぐ生えるよ。
弁丸:だが……痛いであろう?
佐助:大したことない。
弁丸:嘘をつくな。先程呻いておったではないか。
佐助:それはアンタが強烈な突きを入れてくれたからでしょうが……。
っていうか……あんまり見ない方が良いよ。
弁丸:何故だ。
佐助:何故って……気持ち悪いでしょ?じろじろ見たって、何の得にも……
弁丸:気持ち悪くなどない!
佐助:………!?
弁丸:そんな……ことは……ない。
ぽかんとする自分を余所に、主は願いでも掛けるように、額をその手に押し当てた。
弁丸:よく……帰ってきてくれた……。礼を言うぞ、佐助。
佐助:………。別に有り難がられることじゃないと思うんだけど。
そもそもこれ、忍としては失格だよ。手前の命が惜しくて、帰ってきたんだから。
多分俺、怪我直ったら長に半殺しにされるね。
弁丸:某は、それを悪い等と思……
佐助:若さま。
主の言葉を遮り、視線を上げた。それは今にも溢れそうなほど潤んだ目と、しかと混じる。
佐助:出来損ないでも、俺は忍だから……命令は、守るよ。
アンタが斬れって言う奴は斬るし、死ねって言われりゃ、今すぐにでも死ねる。
弁丸:そっ……!
佐助:でも、アンタが帰って来いって言ったから……
――汚れても、這いずってでも、
掟に背くことだと、分かっていても
佐助:帰ってきた、それだけ。
主はじっと黙っていたが、少し悲しそうに目を伏せた。
弁丸:それは……「命令」だからなのか……?
佐助:……?
弁丸:「命令」でないと、駄目、なのか?
嗚呼、成程。何を言いたいのか、理解できた。
全く、この子供は、何処までも……
佐助:「約束」、だったよね?
弁丸:……っ!……うむ、約束だ。
漸くその表情から、悲しみの色が消えた。
代わりに屈託のない笑顔が、広がっていく。
此方も思わず、つられてしまう程の。
主は自分の傍らに寝転がって頬杖を付き、期待に満ちた表情を向けた。
足をばたつかせながら、弾む声で言う。
弁丸:佐助、もう一度言うてくれぬか?
佐助:……?何を…?
弁丸:決まっておるであろう!
………。
何を照れているのか知らないが、思い切り傷のある右肩を
ばしばし叩くのは止めていただきたい。まぁ、痛いことを除けば……
……正直満更でもないのだが。
佐助:ええと、じゃあ……
咳払いを、ひとつ。改まると、少々言いにくいものだ。
――ただいま。
主は、微笑んだ。心から、嬉しそうに。
――おかえり。
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