・死ネタではないけど、それっぽい表現があります。
・ナリ様視点、終盤のアニキの話が中心。表面的にはそうでもないけど、根幹だだ暗です。
「俺等そんなアニキは見たくねぇっす!」と言う方は素通り願いします……。
・時代背景は相変わらずガン無視です。
雨は強さを増し、真昼というのに、空は酷く暗かった。
しかし知らせは、思い描いた通りの刻限に届いた。
書簡を広げ、目を通す。全ての手筈が、寸分の狂いもなく整った。
伝書を運んできた使いの者が、何か硬い表情で此方を見ているのに気付いたが、
とくに取り合うことなく捨て置いた。
「知らせが参った。手筈通り、陣を退け。」
傍らに控えていた者は一礼し、支度に取りかかる。
使いの者が、堪えきれなくなったように口を開いた。
「元就様!……わ、我が父は、貴方様の恩為に………」
視線を向けると、使いはすぐに押し黙った。
まだ年若い、子供と言っても良いような者だった。
「……この一刻を争う戦中において口を開くからには、余程のことがあるのであろうな。」
「……。」
「申してみるがよい。」
子供はこくりと喉を鳴らし、絞り出すように言った。
「もうすぐ……父は亡くなります。貴方様の……策によって。」
それも、当然の話だった。
ぎりぎりまで後退し、敵を本陣手前まで引き寄せる。
そこは周囲を山に囲まれた地形。
敵は此方の倍を超える数ではあるが、囲い込んでやればあとは容易い。
山中に潜ませた兵達が、あらかじめ築いておいた関を決壊させる。
土砂を含んだ川の水に押し流され、敵は一網打尽となるのだ。
しかし、それにはひとつ、必ず必要なものがある。
敵を其処まで導く、味方の存在。
その部隊に、この子供の父親に当たる兵が属しているのだろう。
「………だから、どうした?」
「っ………。」
子供は押し黙る。何を言っても無駄と、当人も分かっているのだろう。
勝利を確実なものとするため、それは必要であることも。
「労いの言葉の一つでも掛けて欲しいと、そう申すのか?」
「………。」
何かに怯えるように、子供は見上げた。微かに視線を下げ、子供と目を合わせる。
「これにて策はなった。貴様の父は、実に使える駒よ。」
「こっ……!」
子供が目を見開いて立ち上がりかけたが、これ以上付き合う気はない。
押し流す。その箍を外して足らねばならない。
――それは、いつぞや敵方に仕掛けられた罠と同等のものだった。
にもかかわらず、敵軍はするするとその中に入り込んでくる。
そのあまりに愚かな有り様には、憐憫の情すら湧く。
あと少し、あと少しで全て片が付く。
あの時損なわれた誇りも、これで取り戻されよう。
緊張とも快楽とも知れぬものが、背筋を振るわせた。
采配を掲げる。控えていた者達が、合図となる法螺貝の音を……
――だが、その音は無かった。
変わりに響いたのは、ひゅうという高い音。
兵達がざわめく。音を出した者は、すぐに分かった。
すうと長い雲を引きながら、雨空を割って飛来する物がある。
自軍の兵も、敵軍の兵も、間抜け面で其れを見上げていた。
高い音を立てたまま、弧を描くように雲が伸びて……
――爆音が轟いた。
悲鳴と怒号が鳴りやむ間もなく、ひゅうという音は次々と響いてくる。
恐らく爆玉の類だろう。山向こうから飛び来るそれは、敵陣目掛けて落ちていく。
敵兵達はただただ慌てふためき、馬や武具すら投げ出して、命辛々退いていく。
敵は散り散りとなって、高波のようであった其れは、今や逃げ惑う蟻の子であった。
その蟻の子等を、さらに吹き散らさんとする者が、対岸に位置する山頂に現れた。
纏う衣の紫と蒼は、大海の波に見えないこともないが、
流石に掲げた大漁旗には辟易した。ここは山。海とは対局と言っても良い。
しかしそれを気にする風もなく、その先頭に立った男は無駄に片足を岩に乗せ、
馬鹿みたいに碇を振り回しながら叫んだのであった。
「野郎共!助太刀するぜ!」
男の従えた兵達は、野太い鬨の声を上げた。
――
「何を怒ってるのか、俺にはひとつも分からねぇんだが……」
当家の座敷と言うに、図々しく胡座を掻きながら、男――長曾我部の阿呆は言った。
流石にいくらか恐縮はしているようで、猫背気味に此方を見ている。
睨み付けてやると、咳払いしながら視線を逸らした。
「そりゃまぁアンタの性格上、『余計なことはするな……』とか言うだろうってのは
見えてたけどよぉ……。まさかいきなりぶん殴られるとは……」
その「余計なこと」の下りは、自分の口真似のつもりか。いちいち腹立たしい輩だ。
「そもそも貴様……あのような所で何をしていた。織田の手勢に
戦を仕掛けたのではなかったのか?」
「ああ、それならもう終わったぜ。」
「勝ったのか。」
「あたりきよ。」
長曾我部は見慣れぬ短刀を掲げて見せた。金で細かな装飾が施されているが
反りの酷くきつい形をしていた。恐らく南蛮の物であろう。
取ってきたのだと言いたいらしい。
聞いた話を照らし合わせれば、戦は正味3日ほど。
織田の手勢はかなりの精鋭だったと聞くのに、あまりにも早い。
やはりこの男の戦に掛ける才は大したものであるのだろう。認めたくはないが。
「いただくもんはいただいたし、帰って宴でも開くかと思ってみれば、
ダチが山の上に追い詰められてる。野郎共が、雨でも使える石火矢を作ったってんで、
こいつを試せる良い機会でもあるし、こいつはいっちょ助太刀と……」
「それが余計だと言っているのだ戯け!」
こぉんと小気味のいい音がした。
茶菓子に出された胡桃を投げると、それは阿呆の脳天を正確に捕らえたのだ。
「おまっ……餓鬼じゃねぇんだから物投げるなよな……」
当たった箇所をさすりながら、阿呆が視線を上げた。
「あのよぉ……俺の間違いならそうと言って欲しいんだが……
お前の兵は、あの時山頂に陣を構えてたよな?押し寄せる敵を囲うみてぇに。」
言われるまでもない、その通りだ。
「あの状況で水攻めの類を仕掛けりゃ、敵は一網打尽。壊滅するだろうな。
だが敵勢を引き付けていた部隊は、逃げ場を失うぜ?」
下らない。またそんなことを咎める気なのか、この男は。
反論せんと口を開き掛けたが、それはままならなかった。
口の中に押し込まれたのは、やんわりとした感触。………大福だ。
「土産だ。とっととけ。」
「………。」
土産にしても、なんと無礼な渡し方であろうか。もう一度胡桃を、と思ったが、
まぁ味わってからでも良いだろうと思い直し、そのまま歯を立てて頬張った。
甘い香りが、口中に広がっていく。
「アンタのことだ、あの部隊ごと潰す気だったんだろ。」
この言葉には少々面食らった。この手の策は、この男が最も嫌うものだったためである。
兵を駒と見なす己と、兵を異常なまでに庇いだてする者。
相反する考えを持っているにも関わらず、幾度も顔をつきあわせているのは
幼い頃の下らないきっかけによるものだった。腐れに腐って腐り落ちて欲しい縁である。
「今更どうこう言っても、考え変える気は無ぇんだろ?俺にはさっぱり分からねぇが。
……にしても、だ。予期しない俺の助太刀があって、あの部隊は生き延びた。
お前等に取っちゃ儲けもん以外の何でも無ぇぜ?何が不満なんだよ。」
「………。」
かつて己が嵌められた策。その策を用いて、敵を崩すことに意味があったのだ。
他でもない、あの策によって。
「……はぁ、やっぱ分からねぇわ……。」
話したのが馬鹿だった。この愚か者に、完成された勝利の価値など分かりはしない。
「ま、二人以上の人間が寄り集まってりゃ、理解し合うなんてのは無理な話だ。」
言って、歯を見せてにかりと笑う。
随分と変わったものだ。昔は「お前の考え方は気にくわない」だのと、
喚き立てては、どちらが正しいか雌雄を決する勝負にて、
此方の仕掛けた罠のこと如くに見事はまり散らしていたものだが。
「余計な回想するんじゃねぇよ!」
その頃の片鱗を見せる顔で唸りつつ、またも意味ありげな笑みを浮かべた。
何だというのだ。気色の悪い。
「だから別に、アンタも俺を認めなくて良いぜ。俺は勝手にダチと見込んだ野郎に
手を貸したまで。木の実ぶつけられて喚き散らされようが、
知ったこっちゃねぇってことだ。」
………。なんと勝手な。
「俺にしてみりゃ、戦に綺麗も見事も無ぇ。勝ちゃイイ。
だがなんで戦をするのかと聞かれりゃ、野郎共とその餓鬼共が腹一杯食うためには
もうちっとばかし土地が無ぇと足りねぇからだ。その野郎共が減っちまうんじゃあ
本末転倒。だから俺は、アンタみたいなやり方はしねぇし、出来ねぇ。」
そっちの方が効率が良いとしてもだ、と、阿呆は付け加えた。
「なぁ元就、お前は何のために戦に行く?」
異な事を聞く。勝つために決まっている。
「そうじゃなくてよぉ……勝って、どうしてぇんだ?」
………。
勝って、その後。
領を広げたいからか。才を認められたいからか。天下を治めたいが故か。
どれ一つとして、己に当てはまるものはなかった。
強いて言うならそれは、戦のための戦だ。意味など必要ない。
寧ろ戦をせねば、己に意味がないからだ。
「………そうかい。アンタ、戦は嫌ぇだった筈だがな。」
「………いつまでも子供と同じと思うてか。」
「そいつぁ悪かった。」
そうして、また笑う。
「ん?どうした。」
このしまりのない顔が、鬼と渾名される者かと思えば、呆れもしようとうもの。
「ああ、そうかよ。」
拗ねたような顔を見せ、鬼は立ち上がった。
「帰るのか?」
「なんだ。まだ居て欲しいのか?」
「死ね。」
「死んでたまるか。ああ、助太刀の礼なら要らねぇぜ。勝手に持って……」
「誰がするか!さっさと消えよ!」
「あ~へいへい。失礼しやしたっと……。」
去りゆく大きな背に、石を投げてやりたいような衝動に駆られる。
阿呆は途中立ち止まり、廊下で誰かと話していた。
……あの、使いの子供だ。
子供は何やら頭を下げ、必死に礼を言っているらしかった。
鬼はからからと笑い、子供の背を軽く叩いた後、
鼻歌交じりに角を曲がって、見えなくなった。
数時後、小姓から報告があった。
蔵にあった上等の杯が、ごっそりと消えていると。
「……盗人めが。」
悪態を付きつつ笑みを漏らす、己の頬が憎く思えた。
――
世は、豊臣に下った。
時流を読んだ己と異なり、彼奴は長らく反抗を続けていた。
やがて四国も平定され、その内土佐のみが安堵された。
煮え湯を飲む思いとは、よく言ったものだ。
九州征伐に加わった彼奴等の軍は大敗。
そして、大切な者を、失ったと聞いた。
上洛し、豊臣に頭を垂れた彼奴の顔は、まさに鬼の其れだった。
幼少の頃言い争いをして思わず手が出た時にも、戦場でさえも、
一度も目にしたことのないものだった。
何一つ、言葉を交わすこともなかった。
ただ一度、目が合うた。面を上げた、ほんの寸の間。
仄暗い濁りが、其処に溶けていた。
その時にこそ、石をぶつけてやれば良かったのやもしれぬ。
偉そうな麗句を並べ立て、忠誠を誓うその背に、
蹴りの一つでも入れれば良かったのか。
図体では頭一つ以上及ばないが、幼少の頃は取っ組み合いでも負けたことはないのだ。
詰めが甘いあの阿呆ならば、足払いの一つも掛ければ盛大に転ぶ。
そうして、言ってしまえば良かったのだ。
「愚か者め、目を覚ませ」、と。
――
「嗤ったんすよ……もう動かない其奴を……幾度も斬った後に……」
男は、ぽつりと言った。
元々は、彼奴の軍の者だったらしい。
月明かりが煌々と薄を照らす、静かな夜だった。
彼奴からの使いを名乗り、ふらりと現れたその男は、「逃げてきたのだ」と言った。
あの家は、所領こそ減ったものの、危機に瀕しているという話は聞かない。
豊臣の下で行う戦においても、それなりの戦功を上げていると聞く。
それでも、其処には居られなかったのだと、男は言った。
彼奴は人が変わったのだと、本当の鬼になってしまったのだと言った。
幾人もの家臣が粛清に遭い、その命を絶たされたのだと言った。
己を最も近くで支えてきた者を幽閉に追いやり、誰も近づけないのだと言った。
戦場でも情のたぐいを一切見せず、泣いて縋る者さえ撫で斬りにしているのだと言った。
自分もいつ同じ目に遭うか、傍にいること恐ろしくて仕方ないのだと、言った。
言葉は全て虚ろで、はっきりとは聞き取れなかったが、
男の言わんとしていることは、嫌と言うほど分かった。
「もう……俺等の知ってるアニキは……居ないんすよ……。全然…話も……」
男は深く俯き、膝に置いた拳を握った。爪が肉を削る、ぎりという音がした。
「あの人を……止めてやっちゃくれませんか……?アンタなら……きっと……」
「買い被るな。身内の者の言葉さえ聞かぬ者が、我の話など聞こう筈もない。」
「そうでもねぇぜ?」
声が、した。
振り返ると、酒瓶を一つ提げた阿呆が、笑みを浮かべて立っていた。
――
「あ……アニキ……俺ぁ……」
「失せろ。」
鬼は、低く呟いた。一瞬、空気が張り詰める。
が、すぐに表情を弛ませ、男に向かって言った。
「今の俺じゃあ、お前に何するか分からねぇからよぉ……悪いが、外してくれや。」
男は何か言いたげに口を開いたが、それを飲み込むようにして、席を立った。
それを見送った後、鬼はゆっくりと、此方を見下ろした。
「よぉ、久しぶりだな。……一杯どうだ?」
「………。……貰おうか。」
「お?嫌に素直じゃねぇか。気色悪いなぁ……。」
「貴様にだけは言われとうない。」
「へいへい、失礼しましたねぇ……っと。」
鬼は傍らに腰を下ろし、杯を差し出した。
「……貴様……これはいつぞや我が家の蔵から持ち出したものではないか……」
「へ?ああ、そうだったか?悪いな。」
口では侘びつつも、悪びれる様子は微塵もなく、杯にとくとくと酒を注いだ。
「………甘いな。」
「だろ?わざわざ選んで持ってきたんだぜ。感謝しろよな。」
「単に貴様が飲みたいだけであろう。」
「馬ぁ鹿、俺だけなら甘ったるいのなんざ持って来ねぇよ。もっと上物の……」
「どうでもイイから、もう一杯寄越せ。」
「……んだよ、ちったぁ人の話聞けよな。」
杯に、二杯目の酒が注がれる。
「……なぁ、元就。」
開け放したままの障子の向こうに、虫の音がよく聞こえた。
「前に……俺がお前に、何のための戦だ、って……訊いたことあったよな。」
「忘れた。」
「あ。冷てぇの……」
「………。あったような気がしないこともない。」
「どっちだよ。」
鬼は、からからと笑った。
風が薄を揺らし、月明かりが一段と透き通って見える。
それに溶けて、世情すら消えゆくような気がした。
「あの時お前……なんて答えたか、覚えてるか?」
「さぁな。」
「戦のための戦、そう答えたんだよ。」
覚えていない。そう答えようとしたが、何故か音にはならなかった。
「お前は……戦と戦ってたんだなぁ……」
「何?」
「お前は餓鬼の頃に身内やらなんやら、いろんなもん無くした。
だから、沢山のものが無くなる戦が嫌ぇだ、あんなもの下らねぇって言った。
戦のための戦。他でも無ぇ、戦をこの世から消すための戦だ。」
「………。随分偽善に見られたものだ……」
呟いて、杯を口に当てた。甘みが口中に広がり、記憶もゆらゆらと蘇る。
「家名を残すため、それ以外の理由が、今の世の何処にある。」
「……そうか?………俺ぁ……家名なんざどうでもイイ。消えて無くなりゃいいと思うぜ。」
自嘲しながら、杯を傾ける。二の句を継ごうとしたが、ろくな言葉が浮かばなかった。
「確か俺は……野郎共に飯食わせるためって、答えたんだったな。
おぉ……だんだん思い出してきたな。」
鬼は薄く笑った後、小さく息をついた。
「今は………なんだろうな。何も無ぇな。」
その言葉に、額の辺りが熱くなるのを感じた。
怒りとは違う、妙な感覚だった。声に出ぬよう、息を整えてから言う。
「同じであろう。いくら無くしたものがあったとて、まだ多くのものが傍にいる。」
「………。傍に……か。」
りぃんと、虫の声が響いた。
「そうだな……」
杯に落ちていた満月が、歪に溶けた。
――
「じゃ、そろそろ帰るとすっか。」
「結局何しに来たのだ貴様は。」
「あん?月見だよ月見。それとも何か?まだ居て欲しいのか?」
「死ね。」
鬼はまた、からからと笑った。
「じゃあな。」
酒瓶を提げて、その背が遠ざかっていく。
「元親。」
「あ?」
立ち止まって振り返る。月明かりを吸った髪が、金糸のように揺れた。
不思議と、笑みが漏れた。
「安心しろ、我が終わらせる。」
阿呆は少々面食らったような顔をした後、歯を見せて笑んだ。
「待ってるぜ。」
お世辞にも品の良いとは言えぬ足取りで、庭の砂利を踏み鳴らしながら、
鬼は闇へと消えていった。
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