幸村:何やら妙なタイトルでござるな?
佐助:あ~……やらかしましたよ、管理人。俺様どうなっても知らないかんね。
という訳で注意書きです。
・読んでタイトルの如く、どろどろに暗いです。
・裏切り主従。例えどんなオチがあろうとも、
謀反が許せない方は素通りしてください……。
・長いです。
・一応、小説形式です。
幸村:始まりでござる!
――「ねぇ、それじゃあ、もし……」
言葉の孕む空気が、一瞬にして変わった。
忍は膝を折って自分の顔を覗き込み、息も掛からん距離で、
囁くように言った。
――「俺が裏切ったら、アンタ、どうする?」
唄うように、弾むように。
自分の表情が変わり行くのを、心から楽しむかのように、
忍は笑んだ。
――
幼い時分から一緒にいることが当たり前だった。
ただの一度も、疑ったことなど無かった。
嘘尽きな性格も、からかうような声も、優しい香も、
全てを知っていると、思っていた。
「旦那は忍に気を許し過ぎなんだよ。」
と、言われたことがあった。その肩に頭を預けて、微睡んでいたときのこと。
その手でそと髪を梳きながら、微笑んで。
聞こえるか聞こえぬかという小さな声に、嬉しそうな音色を含ませて。
だから……――
――自分の元を離れるなんて、考えたこともなかった。
変化は揺々と、しかし着実にあった。
認めるのが怖くて、口に出せば疑いが真実になってしまいそうで、
ただその目に冷たい色が宿り行くのを、眺めていた。
相変わらず、呼べば直ぐさま応じる距離にいたし、自分の望みには、何なりと答えた。
それでも、ゆっくりと、離れていくのはよく分かった。
「佐助……。」
偵察の任から戻った後、傍らに腰掛け、敵国の様子を淡々と告げていた忍は、
ぴたりと言葉を切って此方を見た。
「何?」
忍は、如何様にも感情を殺せるのだと、よく言っていた。
だがお前は違う。直ぐに笑うし、直ぐに怒るし、悲しむし。
そう問えば、誰の所為だと思ってるんだと、苦笑混じりに答えていたのに。
今目の前にあるは、言葉通りの、其。何の興味も、関心ない、単なる問い返し。
名を呼んでおきながらこれだけ黙っていれば、少しは訝っても良さそうなものを、
こちらの言葉を静かに待ち続けている。
「な、何か………何か欲しい物は無いか?」
沈黙が怖くて発した言葉は、あまりに幼稚で、馬鹿げた物だった。
「欲しい物?」
忍は首を傾げる。からかうような、表情で。
ほんの少しでも笑んだという事実に縋って、自分が必死になるのが分かった。
何でも良い。望む物は、いくらでもくれてやる、と言った。
何故と問われて、日頃の働きへの褒美だと、よく分からない理由を付けた。
何でもよかった。自分の持つ物なら何でも、やろうと思った。
それで、「戻って」くれるなら。なんでも。
忍は「そうだなぁ」と天井を仰ぎ見た後、此方に視線を戻した。
「今、ひとつ、凄く欲しい物があるんだけど」
その目のに映るは、己の首。
今にも引き裂かれるのではないかと思う程、冷ややかな、目。
冷たい何かが、ぞくりと背筋を奔り抜けた。
「それは、俺様自身にしか手に入れられないものだから、
旦那に貰うわけにはいかないんだ。」
冷たさは一瞬にして消え、忍は微笑んだ。
そうか、とだけ呟き、視線を床に落とす。忍はその顔を覗き込み、にぃと笑った。
「青いねぇ、旦那。」
「っ!」
思わず顔を上げようとすれば、既に立ち上がっていた忍が、
ぽんと頭に置いた手にそれを止められる。
「まぁ、どうしてもってんなら、給料を上げてくれよ。………おやすみ。」
その姿が掻き消える。どんな顔をしてそれを言ったのか、見ることも出来ないうちに。
どうしようも無い虚しさが込み上げて、床に寝転ぶ。
僅かな温かさが、まだ其処に残っていた。
「幸村様!?幸村様!」
従者の、必死に呼ぶ声が聞こえた。
胸を、首を掻き毟り、咳き込みながら其れを聞く。
藻掻き、のたうち回る自分に縋り、従者は必死に名を呼んだ。
その声に、他の人間達も集まってくるのが分かる。
夕餉の椀を手にして直ぐの事。襲ったのは、肺が焼け爛れて行くかのような感覚だった。
悲鳴を上げる身体とは裏腹に、頭は「嗚呼、終わりなのか。」等と、
他人事のように思っていた。
幸村様。幸村様。多くの声が、己の名を呼ぶ。
その腕に、爪を突き立てん勢いで縋りながら思うた。
――違う。違う。
聞きたいのは、そんな声ではない。
聞きたいのは、そんな呼び名ではない。
欲しいのは、今欲しいのは、この姿ではない。
「大層な毒じゃなくて、良かったね。」
目を開き、最初に見えたのは、望んでいた姿。
「全く……誰に盛られたんだかねぇ…?」
だが、同時に聞こえたその言葉に、笑みに、
自分の望みは二度と叶えられぬと、知った。
そして、戦を翌日に控えた夜。
視界は、紅く染まっていた。己の紅ではない。
兵の、忍の、他の武将達の、美しいとさえ言えるほどの紅に、部屋が染まっていた。
明日の準備の為、多くの者が其処に集っていた。
数の上で勝っているとはいえ、楽ではない戦。そこはいつも「最期」と隣り合わせだ。
もしかすると、此の世を目に焼き付けんと、談笑でもしていたのかも知れぬ。
ただ、そこに声は一つもない。
あるのは、「物」となった人間達と、ひとつの姿。
「なんだ、旦那か。」
その忍は、振り返った。
「あ~あ、見られない内に出ていこうと思ってたんだけどな。」
これから城下に甘味でも食べに行こうと言う時のような、あまりに、軽い声だった。
「さ……すけ……?」
自分の声は、震えていた。多くの従者を失ったとことと、
目の前の、返り血に染まった忍を、失ったという事実に怯えて。
「お前が……やった……のか?」
「当然。見れば分かるだろ?」
「何故……何故……」
「数が減れば、戦には不利。指示を出す位の人間も消しておけば、尚更だから。」
足下の武将を見下ろし、忍はくすりと笑った。近づき、項垂れる自分を覗き込む。
「このような……こんな……」
「酷いって?今頃気付いた?」
心の臓が、痛い。頭の中がぼんやりして、音が良く聞こえない。
「………いかないでくれ。」
言葉が、溢れた。同時に頬を、冷たい滴が伝う。
もう地位も誇りも、嘘も真実も、どうでも良かった。
己の望みは、ただ、それだけ。
「お前は、言ってくれた……護ると、傍に居ると。もう……良い……。
護らなくても良い、何をせずとも良い。ただ、側に……」
己の言葉を切ったのは、吹き出した忍の吐息だった。
「旦那は優しいからどうだか知らないけどさぁ……
……今、俺がアンタのこと、好きだと思う?」
頭の中が、全て壊れていくような心持ちがした。
「憎んでくれて構わないよ。」
――そして自分は、ただ紅の中に、取り残された。
戦況は不利だった。
あれだけの手勢を一挙に失えば、当然だろう。
「怯むな!道を開くのだ!」
自軍を叱咤するものの、もはやこれ以上進むのは不可能だろうと、頭の端で分かっていた。
しかし、此処を攻め落とされれば本陣が危うい。
自分が心から敬愛する師を、危険に晒すわけにはいかぬ。
護らねば、護り通さねば。退いてはならぬ。臆してはならぬ。
余計な事など、考えてはならぬ。
だが、敵勢に戦忍の姿を見る度、躊躇う己に気付いてもいた。
躊躇いは隙となり、いくつもの刃を受けた。足取りも、覚束なくなる。
倒れてはならぬという思いと、全てを投げ出してしまいたい思い。
手にした二槍は、まるで言う事を聞かぬ獣。
勝手に目の前の敵を切り裂いていくのを、眺めているような気がした。
「幸村様!」
従者の声。背後で刃同士のぶつかる音がした。
振り返れば、地に突き立った刀。そして、舞い戻っていく刃が見えた。
それをするりと手に収め、進み出る影。
「やっと見つけた……」
そう呟く忍の声は、聞こえぬほど小さなものだった。
自分の背を狙ったのだろうか。
この忍に背後から襲われ生き延びたとは、運が良い。
……否。そのまま、何も知らぬまま、受けていたが良かったかも知れぬ。
「貴様……っ!」
刃を構える従者を、手を差し出して諫める。
そして、ここは自分が止めると、軍を率いて先に行くようにと告げた。
無論兵達は拒んだが、諭すように願えば、渋々頷き離れていった。
忍はそれを見送ると、くすりと笑んで刃を構えた。
「じゃ、手合わせ願いますぜ、旦那?」
――ただ、全力で応じた。
幾度目かの斬撃の後、忍に僅かな隙を見つけた。
左の槍を突き出せば、それは心の臓を貫いていたろう。
――だが、それは出来なかった。
躊躇いが生んだ隙に、忍が刃を繰り出す。身を捻って交わし、距離を取る。
その時になって、己の呼吸の荒さに漸く気付いた。
忍もまた、相当に疲弊しているらしかった。
「流石。一筋縄じゃいかないってか。」
言葉が返せなかった。ただ、荒い呼吸を繰り返し、槍を握りなおす。
「そうこなくっちゃぁ……。」
忍は、唄うように言った。そして、刃を構え、互いに走り出す。
呼吸を止め、相手の目を見ぬように――
――「……旦那っ!」
その一瞬に、何が起きたのかまるで分からなかった。
気が付けば、木に背を強く打ち付けていた。
目の前にあるのは、忍の顔。自分の両側に手を突き、目を見開いて、黙っていた。
「佐助………?」
怖々見上げると、その顔がふっと緩んだ。
――それは、見慣れた、あの笑顔だった。
「なんで……こうなっちゃうんだろうねぇ……。」
――忍の胸から、刃が生えていた。
佐助の身体で、その背後は見えぬ。
ただ、誰かが近づいていくるのは、気配で分かった。
敵の、忍。その存在に全く気付いていなかった自分に、放たれた刃。
恐らくそのまま心の臓を貫いていたであろうそれは、阻まれた。
自分を捨てたはずの、忍の身体によって。
「旦那は知らないだろうけど、アイツは相当な手練れだ。
手負いのアンタじゃ、勝てる相手じゃないんだよ。」
胸に突き立つ刃から、紅を滴らせながら。
佐助は幼い子供をあやすように言った。
「イイ?旦那、よく聞いて。向こうの戦法は大体分かってる。
今、この状態じゃ、アンタは俺の身体を一度脇に避けてから斬りかかる事になる。
でも、それを向こうは待っちゃくれない。多分……俺ごとばっさり行く気だろうね。」
自分との戦いの最中に投げたのか、あの忍の刃に弾かれたか、
佐助の武器は、彼方の地面に転がっていた。
己が身体を盾にしたは、咄嗟の判断だったのだろう。
だが……何故?混乱し、佐助の言葉はよく理解できない。
「俺が一瞬でも時間稼いであげられりゃいいんだけど、生憎これじゃ動けそうにない。
機会は一度きり。向こうは絶対に軌道を読めないし、こっちの関係も知ってるから、
アンタがそんな事をするとも考えないだろう。」
――だから……
「……っ!……出来ぬ。」
その言葉に、殴られたような心持ちがした。茫然と動きを止めていた感情が、
怒りと恐怖に、熱を持って動き出す。
「出来ないじゃなくて、やるんだよ。」
「出来るわけなかろう!」
「見て分かるだろ?俺様あの世行き決定なの。少しくらい恰好つけさせてよ~…。」
「……………嫌だ。」
佐助が、頬に触れた。血に染まった、手甲。その冷たさが、酷く愛おしかった。
「やっぱり、アンタは生きるべきなんだよ……旦那。」
そのまま手から力が抜け、覆い被さるように頽れる。
身体を抱え込んだままでは、動く事も出来まい。敵兵が、地を駆るのが分かった。
――叫びながら、槍を振るった。
持てる力の限りで。
戦の音も、抱え込んだ忍の吐息も、己の悲鳴も、
全て掻き消さんと吠えて。
――忍の身体ごと、敵を貫いた。
「無様だねぇ……」
己の胸に、すっかり頭を預けて、忍は呟いた。
もう、一滴の涙も出なかった。ただ、その身体を抱えたまま、ぼんやりと座り込む。
「結局、なぁんにも叶えられない儘お終い、か。」
己の忍が、何を思い、己が元を離れたか。何を思い、最期に己を庇ったのか。
恐らく問うても、答えてはくれまい。
忍は手を伸ばし、すと髪を梳いた。静かに、嬉しそうに。
「笑ってよ、旦那。」
無茶を言う。この先何があろうと、己はもう、眉一つ動かさぬかもしれないというのに。
「馬鹿にして……蔑んで……。こんな裏切り者、犬の餌にでもしてやってよ……
ただ……身勝手ついでに……ひとつだけ、お願い。……もう一回だけ、
アンタの笑った顔が……みたい……な。」
――嗚呼、何故。何故……
「……我が儘な奴よ。」
「……御免ね。」
忍から僅かに顔を遠ざけ、微笑んでみせる。
「お前は、俺の……自慢の忍だ。」
忍の口が微かに動いた。
何を言おうとしたのか、聞き取る事は出来なかった。
――
――……。
「~~~っ………うっ。」
不意に聞こえた微かな声に、足を止めて振り向いた。
「旦那?」
「うああぁああぁあああああああ~……」
耳を劈く大絶叫に、思わず反り返る。
手にした湯飲みを落としそうになって、あわやと言うところで受け止めた。
まだ茶を注いでいなかったことに胸を撫で下ろ……している場合ではない。
自分の言葉に、暫し無言になったと思ったら、この大泣き。
もうとうに元服を済ませた筈の主は、まるで幼い子供だった。
耳を軽く押さえながら、恐る恐る近づく。
「ちょ、旦那!?何事!?」
主は畳にへたり込み、両手足を投げ出したままわんわんと声を上げ続ける。
どうしてイイもんかと途方に暮れていると、漸く言葉らしい言葉を発してくれた。
「嫌でござるぅぁぁ~……」
「い、嫌って何が……?」
一応問いかけに答えようという努力はしているのか、
なんとか声を押さえ込もうとしゃくりあげている。
ある程度落ち着くと、今度はきっと此方を睨み付けた。
「佐助。」
「はい?……うわ、ちょ!?」
そのままガバリと抱きつかれ、危うく転げそうになった。
「この馬鹿力……」等と小声で悪態を付きながら、体勢を立て直す。
「そんなことは……許さぬ。」
「………あ~。」
成る程。漸く、分かった。
「……なんか、想像広がっちゃったわけね。」
主の頭は、こくこくと上下に振れた。僅かに身体も震えている。
この主がどんな想像を勝手に膨らましたのかは知らないが、
そこでの自分は、恐らく惨憺たる有様なのだろう。複雑な気分だ。
「あのねぇ旦那……あくまで「もし」。仮定の話だって。」
そもそも、其処まで意味を持たせて言った言葉ではない。
前の戦で、主は例によって例の如く、敵陣に単独で突き進んだ。
これは不利かと思うた時に、迂回していた別働隊が見事合流。勝利となったわけだが。
いつもいつも自分の言葉など全く聞かず、無茶ばかりする。
ここは少し諫めてやらねばなるまい。
そんな訳で説教を始めたのだが、これが意外と、言い逃れが上手い。
合流が上手くいかなかったらどうする気だ?等と切り出したのがまずかった。
あくまで忍である自分と、先は世に知られた智将となろうと言われる主。
兵法で挑む己が馬鹿だったと言えるだろう。だが、折れるわけにはいかない。
別働隊がおくれたら?伏兵が居たら?伝令の失態で、援軍に来なかったら?
自分が次々上げる仮定を、「ならばこうした」と見事に交わしてみせる。
では交わせない、絶対に予期していないであろう事態を、と、
そんなささやかな対抗意識からの言葉だった。
――「もし、裏切ったら?」
ぽかんと口を開いた主は、そのまま暫し黙り込んだ。
呼んでも、目の前で手を振って見せても、反応がない。
気まずくなり、茶でも煎れてこようと席を立ちかけたとき、
先の絶叫が襲ったという次第だ。
未だ止まらぬ涙を、声を、何とか飲み込もうとしているのか、
押し当てられた頭から、小さな呻きが聞こえる。
その背を軽く叩きながら、思わず笑みがこぼれるのに気付いた。
「旦那ぁ、いつまでべそかいてるの?紅蓮の鬼が、聞いて呆れるね~。」
「五月蠅い。」
主は洟を啜りながら答えた。
「俺は……」
そして、消え入りそうな声で呟いた。
「そんなこと……考えたくない。耐えられぬ……我慢できぬ……。」
主をこれ程消沈させておいて、我ながら最低だと思いつつも、
顔がほころぶのを押さえられない。
「馬鹿だねぇ。俺様が裏切る訳ないっしょ?」
「……だが……給金は今の三倍、仕事量は半分、自室有り、家事負担無し、
迷う事も、団子をねだる事も、殴り合う事もない主から来いといわれたら……どうする。」
「う~ん……それは悩むねぇ。」
「っ!!!!!」
「嘘!冗談!あ~、はいはい、御免!御免ってば。……痛い痛い痛い!
折れるっ!肋!肋持ってかれる!御免なさい御免なさい、二度と言いません!」
説教をしていた筈なのに、何故己が詫びているのか。
なんとか手を逃れ、互いに大きく息をつく。
「………。旦那ぁ。」
俯いていた主が、顔を上げた。
「俺様ってそんなに……信用ない?」
慌ててぶんぶんと頭を振る。くすりと笑い、何やら必死なその顔を眺めた。
「どんな想像したんだか知らないけど、俺が旦那を裏切ってまで付いた人って……誰?」
主はきょとんと目を瞬かせた。挙げ句、そのまま首を傾げる。思わず溜息が漏れた。
「随分と穴だらけな展開だったのね……。まぁいいけど。」
いいけど、とは言ったものの、本当は少し不満だった。
単純なこの人が、気付いてくれると思ってはいなかったが。
今の言葉に、自分がどんな意味を込めたのかを。
――そんな奴、この世にいるの?
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