明智と半兵衛の話。黒。
変人二人のだらだら会話です。
春過ぎて くらくらもえる 紅の
狂い桜よ 艶やかに舞え
「おかしいよ。」
「そうですか……?」
「桜は春に決まってるのに、春過ぎてっていうのが、まずおかしい。」
「狂い咲きだと、断っているじゃないですか……」
「解りにくい表現は、なるべく避けないと。それから、もえるっていうのは、「萌える」。
つまり咲いているってことだろう?でも、「舞え」って言葉では散ってる。
どちらを強調したいのか、はっきりしない。」
「ほう……。」
「あと何より………桜は紅じゃない。」
「…………。………そうでしたか?」
「どう贔屓目に見ても、紅という表現は相応しくないよ。」
「……成る程。やはり私には、この手の遊びは向いていないようですねぇ……」
「でも、言いたいことは解るから、初めてにしては悪くないと思うよ。」
「あれだけ苦言を述べた後に言われても、説得力がありませんねぇ……。」
「そうかな?」
「そうですよ……。」
――
「蕎麦………なかなか来ませんねぇ……。」
「混んでるからね。」
「注文してから随分たっていますよ……。忘れられているんじゃないでしょうか?
私たちの分……。」
「まさか。………。………そんな顔をするほどひもじいのかい?」
「いえ、目を凝らしているだけです……。厨房の様子が見えないかと……。」
「見えたところで、来やしないよ。大人しく待っていた方が賢明というものさ。」
「退屈で死にそうですよ……。」
「だから句の一つでもって提案したんじゃないか。」
「あれはどうにも……。そも、複雑怪奇と言われる人間の感情の機微を、
たかだか数文字の言葉に表すなど、不可能だと思いませんか……?」
「そういうの、負け惜しみって言うんだよ。」
「失礼しちゃいますねぇ……。」
「包み隠さない性分なものでね。君も一介の武将なら、苦手意識は克服しないと。
辞世の句とか、用意してるんだろう?」
「あれ、面倒なんですよね……。誰か代わりに作っておいてくれないものでしょうか……。」
「やれやれ。武士の風上にも置けない人だな。」
「人の生死など、流転する世の中には在ってなきがごとし。意味など無いのです……。
だが、誰しも意味を付けたがる……。私には理解できない。あの句というのは、
己の死を正当化したい、意味づけしたいという足掻きに思えてならないのですよ……。」
「………ふぅん。」
「私は美しいものが好きです……。足掻きは、醜い……。
だから、作れと言われても気乗りしないのです……。」
「解るような解らないような……。」
「負け惜しみですよ……ただの、ね。」
――
「しかし、来ないね蕎麦。」
「おや?貴方も苛々し始めたようですね………。」
「なんで嬉しそうなんだい……。……苛々なんてしてないよ。空腹を感じ始めただけさ。」
「これだけ出汁の香りが充満している空間で、空腹感を抱かない方がどうかしています。」
「君は空腹を感じているのかい?」
「さぁ?どうでしょう?」
「意味深な笑みを浮かべているつもりかもしれないけど、
さっきお腹鳴ってるの聞こえたよ。」
「いやですねぇ……。そういう時は聞こえなかったふりをするものですよ……?」
「どれ程奇人ぶった所で、君も所詮は人ということさ。」
「私は、奇人ぶっているつもりなんて無いんですが……。」
「第一、なんで君が共も付けずにこんな店に来て居るんだい?」
「単に食べたかっただけですよ……。この店は、ちょっとした話題になっていますから。
貴方こそ、何故わざわざこのような場所まで……?」
「僕だってたまには、城下の人間に混じって、のんびり過ごしたくなるんだよ。」
「十分目立ってますけどねぇ……。」
「お互い様だろう?」
「おまけに相席ですしねぇ……。」
「いいじゃないか、話し相手が居た方が、退屈しのぎになるよ。」
「しのげていませんよ……。空腹も退屈も……欠片ほども満たされません……。」
「それは君個人の問題さ。ようは何を退屈と見なし、何を空腹と見なすかだ。」
「面白いものがない、己の糧となるものが無いという状態のことだと思いますが……。」
「君はそれを苦痛だと思うのかい?」
「苦痛です。死んでしまいそうですよ……。皆、同じでしょう?」
「だとすれば、世の中に座禅を組む人間はいなくなるよ。もっと言うなら、
この世で一番苦痛なのは、睡眠を取ろうとしている瞬間ということになる。」
「………何故です?」
「寝ようとしている時、これからすべきことは寝るだけ。面白いものなど有る筈がない。
また、寝ながら食べるなんて出来ないから、新たに糧を得るわけでもない。
さぁ、これは死ぬほどの苦痛かな?」
「………。せんべい布団に寝かされれば苦痛ですよ。」
「どうあっても折れる気がないようだね……。」
「貴方の言っていることは屁理屈です。」
「人のこと言えないじゃないか。」
「腹が減っては戦が出来ません。戦がなければ退屈です。戦がなければ恩賞もなく、
腹が満ちることもない。そうすれば死ぬ、そういうことです……。」
「何の話をしているのか解らなくなってきたな……。」
「空腹だからでしょう。いいじゃないですか、空腹なのは健康な証拠ですよ……。」
「何だい、その結論は。大体僕、お世辞にも健康とは言えない身なんだけど……。」
「考えるのも面倒なんですよ……」
「冷たいな。」
――
「あの人達、私たちより後に来ませんでしたか……?」
「君、意外と細かいよね。」
「重要な問題ですよ。先に来た方が先に食べられる。当然でしょう……?」
「だったら、彼等の方が先に来たんだろう。
そんなに待てないなら、催促してきたらどうだい。」
「大人気ないじゃないですか。」
「君の基準がよく分からない無いな……。……へぇ、あれが噂の桜蕎麦か。
本当につゆが桜色をして居るんだね。話題になるわけだ。」
「まぁ、本当はシソの色ですけどねぇ……。」
「種明かしはしなくて良いんだよ。」
「私は……正直、思い描いていたものと違いました。毒々しく見えますよ……。」
「おや?そう見えたのなら尚のこと、喜びそうな気がしていたけどね。」
「桜の名を持つ以上、もう少し控えめな色にして欲しいものです……。」
「そんなに桜に思い入れがあったのかい?」
「ええ、好きですね……。当家の庭にも、鬼の仇のように植えていますよ……」
「表現が好意を持っているように思えないんだけど……。ま、大抵の人間が好むからね、
あの花は。他にもいろいろ在るのに、なんでとりわけ桜なんだろう。」
「決まってるじゃないですか、散り様ですよ。」
「散り様?」
「あの花が、ただのうすらボンヤリした色で、馬鹿丸出しに春先に咲くだけなら、
誰も見向きもしないんです……。」
「ねぇ、本当に好きなのかい?さっきから嫌悪としか取れない表現ばかりなんだけど。」
「例えば、ここに本物の桜の木が、その隣に見事な木彫りの桜があったとしましょう。
木彫りは花弁の一枚一枚まで再現され、彩色も鮮やかに、
本物と見紛うほどだったとします。さて、どちらが美しいと感じますか?」
「実際見てみないと解らないけど、まぁ本物なんじゃないかな。」
「何故です?」
「偽物は偽物だし。本物には勝てないだろう。」
「しかし、本物はいつか枯れ行きます。偽物はいつまでもそこに在り続けるのですよ?
変わらぬ姿で……。花弁の一枚も散らすことなく……。」
「そんなの、つまらないじゃないか。」
「つまらない?一年中花見が出来るのに?」
「一年中やってたら、いい加減飽きるよ。」
「そこなんです。」
「そこ?」
「永遠にあり続ける、完成された物。人間はそこに、美を見出すことが出来ないんです。」
「はぁ……?」
「散りゆく花、欠けていく月、射れば死ぬ鳥。古来より、壊れる様にこそ、
快楽を覚え、美しいと感じるのですよ……」
「少なくとも、最後のは違うような気がするけど……。ま、言いたいことは解るかな。」
「ふふ……そうでしょう。」
「ただ、賛成はしかねるな。」
「…………ほう。」
「花は枯れてもまた咲く、月もまた満ちる。ただ、死んだ物は生き返らない。
人は唯一死ぬことを知っている物だからこそ、永劫に憧れ、
完成された物にこそ魅力を感じるんじゃないかな。」
「そうは思いませんけどねぇ……。」
「この話、続けても絶対どうどう巡りだよ?」
「………やめましょうか。」
「そうしよう。」
――
「しりとりでもしますか?」
「……唐突だね。」
「何かしていないと気が狂いそうなのですよ……。」
「まだ狂っていないつもりだったのかい?」
「ふふ……誉め言葉として受け取っておきましょう。」
「嫌だよ、しりとりなんて。もう少し実のある提案はないのかい?」
「では、あなたの主君が軍備を整えている理由でもお聞かせ願えますか?」
「実、ありすぎだから。」
「おや?それでは、裏の意味があると公言しているようなものですよ……?」
「どうせ解っているんだろう。野暮なことを言うね、君も。」
「ふふっ……性分なもので。」
「…………。………いいのかい?」
「はい?」
「君の大事な公に、僕らが何を考えているのか伝えなくても。」
「伝えられるはずがないでしょう……そうなれば、必然的に私の目論みも
明るみに出ることになるのですから。」
「そうか。」
「そうですよ……。」
「………。」
「貴方こそ、よろしいのですか……?」
「何がだい?」
「私の目論見を伝えれば、それなりの褒美が期待できると思うのですが……。」
「そうしたら、僕らの支度も無意味になるじゃないか。」
「そうですか……。」
「そうだよ。」
「………。」
「………。」
「………蕎麦、来ませんねぇ……。」
「………そうだね。」
――
「待った甲斐があった……と言えたら良かったんだろうけど。」
「味、普通でしたね。」
「まぁ、噂なんて尾ひれが付くものだし、汁に色が付いただけで
味が変わるはずもないんだけど。」
「………がっかりです。腹いせに辻斬りでもしたい気分ですよ……」
「君が言うと、冗談に聞こえないから止めた方が良いよ。」
「ふふふっ………そうですねぇ……。」
「………さて、帰るとしようか。天下への準備も、まだ残っていることだしね。」
「貴方もつくづく、包み隠さぬ御方ですねぇ。」
「君には負けるさ。……それじゃあ」
「………。」
「待ってるから、君の宴、って奴をね。」
「………ええ、お望みの儘に。」
――
――狂い桜は 紅に
「………壊れ行く者、か。」
――くらくらもえて 艶やかに
「ご報告いたします。本能寺にて、明智光秀、謀反。織田勢は……」
「あ、イイよ、その先は。」
「はっ……。……既に報告が?」
「いや…………見えているんだよ。彼の寺が、もえ行く様がね。」
「ここから、ですか?どう考えても京は見えぬ距離……」
「目を凝らしたって見えやしないよ、彼の花は。」
「は、花……?」
「言い得て妙、かもしれないね。ただ……美しいとは、思わないな。」
――脆いものなど、消え行くものなど
「……六天魔王が聞いて呆れる。」
――死に行く者、など
「咳……。やはり、お体の具合がお悪いのですね。上様に御報告を……!」
「必要ない。君には他にすべきことがあるだろう。」
「し、しかし……」
「雇い主の命を破って、今此処で消えたいというなら望みの儘にするけど。」
「…………失礼しました。」
「予定通り、踵を返して明智を討つよ。敵勢は水攻めで疲弊している。
追ってくる余力はないだろう。秀吉には決行を伝えてきてくれ。」
「はっ……。」
――縊られた鶏のように、醜い声で
血嘔吐を吐いては、啼くばかり
「あと少し……」
――美しいのは。欲しいのは。
「あと少しで、君のものだ。」
――完成したもの 無くならないもの
「けど………僕はそれを、待てるかな?」
諦めたように笑うその声が、聞こえた気がした。
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