・鬱展というほどの鬱展でもなく、
シリアスと言うには軽い内容ですが、
痛そな表現もちらっとありますので、苦手な方はご注意ください。
・捨て駒が結構喋ります。
・甘味はあんまり出てきません。
轟音が響いた。
朝靄と絡むように、黒煙が舞う。
切れ切れに届く日の光が、戦場に不似合いな程、非道く美しかった。
策は成功したらしい。
傍らに控える誰の耳にも届かぬよう、一つ、溜息を付く。
「元就様。」
陣幕の外から声がした。兵が報告に来たらしい。
「西砦は大破。誘き寄せに成功し、敵方被害甚大。
しかし、片瀬隊半数以上が死傷。松野、戸田以下数名、行方知れずにございます。」
「そうか。ならば、早々に次の策へ移れ。片瀬には、砦の破壊が済み次第、
例の船を用意するよう申しつけてある。」
「はっ……ですが……」
兵は言葉を濁らせた。
何を言わんとしているのか、大方の予想は付く。歩み寄り、陣幕を引き下ろした。
「下らぬ言い訳を並べる暇があったら、さっさと行け。
どうしても動けぬと言うのなら、今この場で暇をくれてやる。」
静かに、弓月形の刃を宛がう。兵は喉の奥から、曇った声を漏らした。
「主は……傷を負い、歩くことすら儘成りませぬ……。何卒……御一考を……。」
その言葉に、眉を顰める。
「彼奴が何故手傷を負う。砦の外で、敵兵共の足止めを申しつけた筈だぞ。」
あの場でより早く船を動かすためには、相応の技術を持った者が必要になる。
だからこそ、兵の半数を砦に残し、残り半数は外で存え、
事が済み次第船へと移るよう命じたのだ。
「主は……我等のみを残していくわけには行かぬと……。
共に……存えんと……砦に、残り……。」
あまりに呆れ、溜息すらも出なかった。此奴等はどこまで浅はかなのだろう。
情に流され、大儀を見失う。緻密に練られた計算を、馬鹿らしい情けの為に崩したのだ。
「何とも、見上げた心がけだな。」
膝を突き、兵の顔を見る。煤と血と涙に塗れ、何とも醜悪なものに思えた。
「貴様等はその情とやらを、後生大事に抱えて生きるが良い。長い間、ご苦労であった。」
立ち上がり背を向けると、兵は慌てて顔を上げた。
「も、申し訳ございませぬ!全ては、全ては私めの戯言にございます!
主は元就様の……!」
己が言葉を発するより早く、傍らに控えた者達が、兵を両脇から抱えた。
そのまま陣の外へと連れ去っていく。
まだ何か喚いていたが、それはすぐに、風に溶ける。
「代わりは、いくらでも……」
強さを増した風は、己の言葉すら掻き消した。
――
「我も焼きが回ったものよ……」
自嘲的に呟くと、傍らの兵が、何か言いたげに口を開く。
視線を向けると、直ぐさま「すいません」と呟いて、隅に縮こまった。
山の深くにある、寂れた小屋。元は神社か何かだったのだろう。
がらりとした部屋には、砂埃以外何も無い。居るのも自分と、この兵のみだ。
今頃兵達が、血眼になって自分を探しているに違いなかったが、
ただ其れを待つしかないとは、何とも情けない。
天候を読み違えたのが悔やまれる。城へ射掛けた火矢は、悉くが意味を失い、
一気に勢力を増した敵方は、この雨天を好機と見てか、山を崩した。
山頂にそびえる城塞は幾度か落とした事があったため、油断があったのやもしれぬ。
土砂に押し潰された自軍が退却するだけならまだしも、その混乱の最中に己の馬を失った。
挙げ句筋を違えたのか、足が思うように動かず、歩くことすら儘ならぬ。
兵達は逃げるだけで精一杯だったようで、大将である自分が
こんな敵方の山中に取り残されようとは、夢にも思わぬであろう。
足取りは、この雨が洗い流してくれようが、これでは自軍の兵とて
此処を見つけるのは至難の業だろう。
同じ空間にいるのが居たたまれぬとでも言うように、庭先の雀より怯えているこの兵は
先程から此方の様子を窺うだけで、何も考えていないらしい。
此奴は恐らく、たまたま闇雲に逃げた先が同じだっただけだろう。
知らせに使うことも出来ぬ訳ではないが、此奴に自分の命運を託すなど、自殺行為だ。
どうせ自分は、暫く動けぬ身。近くに置いた方が、まだ役に立つ可能性がある。
「おい、貴様。」
兵はびくりと肩を振るわせた。
「外の様子を見て来い。敵兵が未だ彷徨いている可能性がある、気付かれんようにな。」
兵はきょときょとと辺りを見渡した後、自分の鼻先を指さした。
「貴様以外に誰が居る。」
「あ、雨降ってるし………ひ、ひとりでですか!?」
何奴も此奴も、何故いちいち苛立たせるのか。
輪刀に手を掛けると、兵は慌てて手をばたばたと振った。
「いいいいい行きます!行きます!行ってきます!」
足音も騒がしく小屋を出て行く。その姿を見送ってから、
彼奴ならそのまま逃げるやも知れぬと思い、己の読みの甘さを呪った。
が、すぐに思い直す。
――どうでも良いことだ。
天下の行末も、兵達の命運も、己の生き死も。
日の本を照らす神がそう選ぶなら、それに従うしかないのだから。
そして静かに、目を閉じた……
「も、元就さまぁああああああ!!!!」
………のは一瞬だった。
騒々しい声と、殆ど転げるように小屋へ駆け込む足音に、
束の間の微睡みは弾き飛ばされる。兵の身体から雨露が飛び散って、非道く不快だ。
「…………なんだ。」
非難するのも馬鹿らしくなって、問い返す。
兵は口を落ち着き無く開閉してから、やっとの思い出声を絞り出した。
「しししし将が!と、共を引き連れて……き、来ます!」
「………。……そうか。」
「そうかって……何落ち着いてんすか!」
此処は敵の領内だ。自軍の者が此処を探し当てるより、
残党を狩り取ろうとする敵兵に見つけられる可能性の方が高い。
考えずとも当然のことである。
「貴様のように馬鹿面で取り乱して欲しいのならばそうしてやろう。
が、騒いだ所で事態が好転するわけでもない。ならば、間に合うか否かは別にして、
少しでも打開策を練った方が増というもの。」
輪刀と手に取り、立ち上がる。
少々足に痛みはあるが、数人を相手にするくらいなら何とかなろう。
「け、けど……」
「泣き言など聞いている間はない。貴様も少しは頭を使ったらどうだ。
その虫けら程度の脳でも、少しは己が身の助けになるやもしれんぞ。」
「……うぅ……。……っ。……駄目っす……何にも思いつかねぇっす……」
「気にするな。微塵も期待して居らぬ。」
「落ち着こうにも、あの紅揃えの軍団がもうすぐ押し寄せてくるかと思うと、
俺ぁもうおっかなくておっかなくて……」
「紅揃え……?」
はたと、動きを止める。
確か、この領を治める将等の武具は、黒を基調としていた筈。
「紅………。」
そういわれて、思い当たる者。
その姿を思い浮かべ、名が口を次いで出るより先に、小屋の戸が開いた。
「あっぁぁぁあひゃあああああぁぁああぁなああああ!!!!」
兵が、この世の者とは思えぬ叫び声を上げて、腰を抜かした。
薄暗闇に慣れた目に、一際映える紅。
「なんと!先客が居たのでござるか!?」
この、なんとはなしに暑苦しい声。
「真田……」
安堵以上に、呆れをふんだんに含んだ呟きを漏らすと、
相手はもともと丸い目を、さらに丸くして、素っ頓狂の見本のような声を上げた。
「も、元就殿ぉ!?」
それはまるで、つい先刻のことのように覚えている。
と言ってもそれは、良い思い出というわけではなく、
「あの阿呆」と、一時でも命運を共にしたという人生最大の汚点とも言うべき出来事が、
脳裏に焼き付いてしまっただけである。
魔王と呼ばれた男が、その勢力を拡大し、各地で好き放題のさばっていた。
関せずの態度を貫かんとしていたが、徐々にその影響が感じられるようになった頃、
妙に不躾な男が現れて、共闘して魔王を倒せ等と言ってきた。
渋りに渋ったものの、ついに折れねばならぬ状況に追い込まれ、
仕方なく、仕方なく「あの阿呆」とも共闘する道を選んだ。
その時に、「連合軍」として、同じ軍にいた将の一人が、この真田だ。
前の戦は、この者無くして勝利を掴み得なかったと言うが、
いざ戦が終わって会うて見れば、声が異常に大きいわ、飯は異常に喰らうわ。
事あるごとに師の名を叫び、無駄に炎をまき散らし、挙げ句意味無く殴りかかる。
まぁ有り体に言って、近付きたくない部類の………
そう、どこか「あの阿呆」とも似た、喧しい人間だった。
「お久しぶりでござるなぁ!」
真田は親しげに手を差し出してきた。途端、
「ぎゃああ!」
真田が肩に担いで居た者が滑り落ち、床に後頭部を強打して悲鳴を上げる。
「おおっ!?すまぬ!大丈夫か!?」
「な………なんとか……」
落ちた者は、後頭部を押さえでごろごろと転げ回りながらも、そう答えた。
「………。」
改めて、その姿に目をやる。
真田は、二人の人間を担いでいた。一人を背負い、一人を肩に乗せ、
……その一人は、転げ落ちたわけだが。
身なりからして、真田の雑兵であることは間違いないのだが、
後ろに従えた十数人の兵も、互いに肩を貸したり、足を引き摺るようにしている者が多い。
問うてみるのも阿呆らしいが、一応、訊かねば成るまい。
「その………何なのだ?」
「………む?ご心配には及ばぬぞ。これ位なんともないでござる。」
真田は兵を背負ったまま、その場で屈伸して見せた。
「誰も心配などしておらぬわ。何をして居ると訊いているのだ。」
真田は兵等とちらと視線を合わせた。
兵達はこくこくと頷く。
真田は眉を寄せる。
兵は酸っぱいものを食べたような顔をする。
真田は叱られたように首をすくめる。
兵は眉をきりりとさせ、深く頷く。
「表情で会話するな。」
なんとなく、置いてけぼりにされたようで、そう言ってみる。
真田は此方に向き直り、苦笑しながら言った。
「お恥ずかしい話だが……少々匿って欲しいのだ。」
真田は武田信玄の命で、豊臣の手勢と一戦交えていたらしい。
少数精鋭部隊で、山側から迂回しての攻撃。
これまでにも幾度か成功を収めてきたというその戦法は、今回も見事成功。
もはや武田の勝利は確実だと真田は息巻いた。
「ならば貴様、なぜそのような成りで此処に居る。」
真田の頬が、ひくりと引きつった。
「全く……面目次第もござらぬ……。完全なる読み違いでござる……」
真田の仕事は、無論、敵を引き付けること。
霧に紛れて不意を突いた攻撃を仕掛け、少数であることを悟られぬようにしながら、
敵勢の「一部」を誘い出し、本陣の戦力を削げば、其れで良かった。
少なくとも、自分が同じ立場であったなら、そうした筈だ。
が、あろうことか、真田は正面を切って名乗りを上げたのだ。
獅子は兎を狩るにも全力を尽くすと言うが、千を越える軍勢に十数騎。
相手は籠城に飽いての暇つぶしにでも思ったのだろう。
兎にも角にも、「全力で参った」らしい。
慌てて退けばよいものを、その喧嘩を全て買ったというのだから呆れ果てる。
「また『敵に背を見せるは武士の名折れ』だのと言い出したのであろう……」
「ぐっ……そ、それもあるにはあるが……」
小屋の隅で、互いの手当をしている兵達をちらりと見やり、真田は続けた。
「某が背負ってきた者が居ろう。他の者達も強がってはいるが……
あれでかなりの深手を負っておるのだ。」
言われて目をやってみるが、そうは見えぬと思った。
「彼奴等のうち三人が、某達と分断され、敵勢に取り囲まれたのだ。」
「………。」
「………。」
「……それで?」
「そ……それで、とは?」
此方の問いに、真田は不思議そうに首をかしげた。
「逃げおおせる好機に、何をぐずぐずしていたのだ?」
真田の首はさらに傾ぎ、目を瞬かせる。発想の根本に、「それ」が存在しないらしい。
「もう良いわ。」
説明するのも阿呆らしい。視線を逸らすと、真田は釈然としない顔をしながらも
気にせぬと決めたようで、図々しく目の前に腰を下ろした。
「なんとか皆を連れて切り抜けたのだが、敵勢は本陣を疎かにしても
我等を捕らえんとしている模様。」
否。恐らく、敵は数にかまけて余裕を持ちすぎている。
「本陣を疎かにしても」ではなく、人員を割いた所で支障はないと考えているのだろう。
つまりは、武田の策に嵌りすぎるほど嵌っているということだ。
己には関わりのない戦とはいえ、相手方の愚かさには呆れ果てる。
真田は極めて損な役回りだが、それも切り抜けることを見越しての配置だろう。
武田もなかなか侮りがたい者だ。
思案している間にも、真田は大仰な身振り手振りを交えて、
自分の状況を説明していた。適当に聞き流しておくことにする。
「その為、こうして山中を迂回し、城に戻らんとしているところなのだ。
して、元就殿は、何用でこのような場所に居られるのだ?」
真田のやたらと大きな目が、ずいと此方に近付いた。
顔をしかめ、背をそらせて距離を取る。
「…………。………用など在るわけ無かろう。」
「では、気の向くままのぶらり旅にござるか?」
「貴様……本気で言っているのではなかろうな?」
真田は寸の間黙考し、後ろに控える兵達に、この辺りは誰の領内かと訊いた。
次に、此方の足へと目を向け、屋根に目を向けて雨音を聞き、ぽんと手を打った。
「狢でござるな!」
「一緒にするな。」
真田は咎める声など聞こえぬとでも言うように立ち上がると、兵達の元へ歩いていき、
二言三言話して戻ってきた。
「お納めくだされ。治りが段違いに早くなりまするぞ!」
差し出されたは、くすんだ緑の布に、ねっとりと何かがへばりついた、
気色の悪いものだった。
「な……なんだこれは。」
「我が忍隊の秘薬にござる。効果は保証いたしまする。」
鼻の奥につんと来る、微かな香り。思わず顔をしかめる。
「忍びの物など……」
真田の顔から、表情が消えた。
「お気に……召さぬと?」
「も、貰えばよいのであろう!貰えば!」
その手から毟るように、布を受け取った。
真田は満面の笑みを浮かべ、大きく頷いた。
「も、元就様ぁ……何なんすか、此奴等……?」
いつの間にか、自軍の兵士が背後に隠れていた。
真田軍の様子を、肩越しに窺っている。
「此方が訊きたいわ……」
やたらと大声で会話する真田の者等を眺めながら、一つ大きく息をついた。
「止まぬな……」
小屋の戸を少し開け、雨空を見上げる。
何処から見つけてきたのか、小屋の中央には火鉢が置かれ、
濡れた草鞋が周りに並んでいる。
炎の爆ぜる音に混じって、背後で空気の抜けるような、間の抜けた音がした。
「腹で返事をするな。」
「だが……腹が減って死にそうなのだ……」
真田は抱えた膝に顔を埋め、唸るように言った。
「……貴様、それでも将を名乗る者か。己の状況を鑑みれば、空腹如き……」
~~~~!
己の腹に、心底苛立った。何も今でなくとも良いものを……。
「………。」
「無言で手を差し出すな!同志ではない!」
真田は、残念そうに手を引いた後、ぴくりと身を震わせた。
「何だ?」
「思い出したのだ!」
意味が分からぬ此方を捨て置き、懐をごそごそし始める。
「あったぁ!」
そして取り出したのは、赤い小袋であった。紐を解き、それを広げる。
黒い、塊が二三個。砂糖菓子だと言うことは、ふうわりと漂う匂いで分かった。
「戦の前に持たされたのを忘れておった。元就殿と……其方の御方は、
甘いものはお好きにござるか?」
思わず、ぴくりと身が跳ねる。
「き……らい……ではないが。」
「それは何より。某、甘いものは大好物でござる♪」
その途端、真田が太刀を抜いた。反射的に身構える。
太刀は………砂糖菓子に振り下ろされた。
「~~~~~っ!!!!」
無惨に打ち砕かれた菓子に、声にならぬ悲鳴を上げる。
そんな惨い仕打ちをした当の真田は、菓子を見て不満そうに唸っていた。
「上手くいかぬものでござるな。」
「な……何が……何を……だ」
質問が質問にならない。真田は非道く困っている様子だった。
「此処にいるのは十七名。何とも割りにくい数でござるな。
とてつもない不公平になってしまった……。」
一握りほどもある欠片と、砂粒ほどの欠片を両手に持ち、何やら思案に暮れている。
確かに……この小屋の中にいる者の人数を数えてみれば十七人だが……
「まさかとは思うが……等分する……などと言わぬであろうな?」
真田は此方に目を向け、誤魔化すように苦笑した。
「流石に、やり方が大雑把であったな。」
目眩がした。
それはやり方のいい加減さにか、兵等を数と見なしたことにか、
分け与えるを当然と思うたことにか、その甘ったるい香りによるものか。
己でも分からなくなってきていた。
「ひい……ふう……みい……おぉ!でも十八個に割れて居るぞ!
ならば、一つ無くしてしまえば丁度でござる!」
と言って、その一つを口に放り込む。
律儀なのか狡賢いのか、咎めるのも面倒になっていた。
「どうでも良いわ……」
「ああっ!元就殿!溜息つきながら一番大きいの取ったでござるな!」
「貴様が『丁度』と言ったのではないか。」
「まだこれから微調整があったのだ!」
「つまみ食いをしていて偉そうなことを言うな!」
「ここは公平に、くじ引きで順番を決める所でござろう!」
「そんな面倒なことをしていられるか!」
「面倒がっていては、食は極められぬ!」
「太刀でかち割ったくせに、食の極みを語るな!」
口論を遮るように、小屋の戸が開いた。
雷鳴が轟く。
一瞬の光に照らされて、小屋を囲む数十の兵が、雨の中に浮かび上がった。
誰も、何の言葉も発しなかった。
各武器を手にしたのと、兵共が雪崩れ込んできたのは、ほぼ同時であった。
黒を基調とした、装束。幾人か忍も混じっている。恐らく、此方の敵兵であろう。
真田には関わりのないことだが、相手方にそれが通じるはずもない。
雨空の下、漸く見つけた残党を逃すまいと。笑みさえ湛えて斬りかかってきた。
兵数人の、足元を薙ぐ。振り下ろされる太刀を、刃の腹で受け、押し返した。
相手はすぐに体勢を立て直してきたが、此方は足元が狂い、姿勢を崩す。
隙を狙った兵の身体を、槍の柄が弾き飛ばした。
「ご無事でござるか!」
背後に真田の声がした。
「出口は一つ。駆け抜けるしかあるまい。」
「し、しかし元就殿……」
「ああぁぁぁあああああああああああああっ!!!!」
背後で、悲鳴が爆ぜた。
闇に慣れた目に、微かに見える姿。
自軍の兵だ。敵兵に背を踏まれ、その背には刃が突き立っていた。
「…………っ」
空気の漏れるような音を一つ残し、兵は動かなくなる。
敵兵は足で背を押さえて刃を抜いた。
その目の前には、先程真田が背負ってきた者が、壁を背に座り込んでいる。
負った傷の所為か、身が竦んでか、目を見開いたまま、動こうともせず。
恐怖に歪んだその顔が、此方を向いた。
「ゆっ……」
「待て!」
真田が声を上げるのを待ち兼ねたように、敵兵が刃を振るった。
薄暗闇の中で、黒い何かが宙を舞った。重いものが、床に倒れる音がした。
傍らで、息をのむ音が聞こえた。
敵兵は倒れた兵の隣に目を向けた。もう一人、真田が背負ってきた者が其処にいる。
「ひっ…あ……」
へたり込んだまま後退る。敵兵はその首筋に、すと刃を翳して、此方に目をやった。
「貴様……」
真田が低い声を漏らした。敵兵の口元に、笑みが浮かぶのが見えた。
全く、呆れ果てるとはこのことだ。
「動くな……とでも言いたいのか?」
輪刀を組み替えで一繋ぎの刃とし、敵兵を薙いだ。
「っ……」
驚愕の表情を上げる間すらなく、敵兵はその場に倒れ伏す。
「もっ、元就殿……!?」
代わりに声を上げたのは、真田であった。
「何を呆けている。敵が怯んだ今が好機ぞ。」
「だ、だが……!」
敵兵等は我に返り、手近にいた者共に刃を振るった。
真田軍の者達は手負い。まともに刃を交えることは儘ならぬであろう。
逃げ惑う足音が喧しく響く。その混乱に乗じて走り来る敵兵の足を、輪刀で絡め取った。
「元就殿!このままでは兵達が!」
「貴様は甘い。」
刃を振るいながら、告げる。
「彼奴等は駒。駒を用いて敵の油断を誘うことが出来たならば、
それは好機に他ならぬ。愚かな優越感に浸っている間に、打ち崩せばよい。」
敵兵を薙ぎ、火鉢を蹴倒した。辺りの闇が深くなる。
「こ、駒ではござらぬ!皆、我が軍を支える……」
「戦の手筈を考える折、貴様は何を用いる。」
真田が、言葉に詰まるのが分かった。
「地形を示した図の上に、兵に見なした駒を置く。綺麗事を並べ立てた所で、
その時は必ず、兵を「数」と見なして居ろう。それが正しい戦の在り方。
甘い言葉を持って、己が尊ばれている等と無為に期待を抱かせる方が、
余程残酷ではないのか。」
真田は答えなかった。槍が風を切る音だけが、背後で一際大きく聞こえた。
その折、一瞬にして、小屋に明かりが灯った。
炎を撃ちに含んだ火鉢の灰が、乾いた小屋の床を一気に燃え上がらせたのだ。
読んだ通り、敵味方とも一挙に混乱し、小屋の中を逃げ惑う。
混乱に乗じ、小屋を抜け出すことは、実に容易だった。
「何故……付いてきた。」
雨は、すっかり上がっていた。
足の傷の所為で思ったほど離れられなかったが、
どちらに逃げたか分からぬとなれば、追っ手もそうすぐには来られまい。
だが、気に入らないのは、己の周囲を囲むこの者共。
真田の者である。
「お守りせよと……小屋から逃げ出す折に、幸村様に仰せつかったまで。」
「誰も頼んで居らぬ。当の真田はどうした。」
「………~~~~っ」
五人の兵の顔が、一様に歪んだ。
「情けない顔をするな!分からぬのなら分からぬとはっきり言え!」
「うぅ……幸村様ぁ……」
溜息すら惜しくなる程愚かな連中だ。立ち上がって、着物をはたく。
「ど、どちらへ……?」
「足を探す。此処まで来れば、なんとか下山できよう。」
「ならば我等も……あ、しかし、我等は……」
「我には要らぬ世話だ。主を待ちたければ、待てば良かろう。」
「し、しかし……我等の任は……」
声が、した。
遠くから、あの、どこか間の抜けた声が。
「幸村様ぁああああああああ!!!!」
此方が反応するより早く、兵達が一斉に駆け寄っていった。
完全に捨て置かれ、貴様等、任はどうしたと言ってやりたくなる。
「皆、無事なようだな!元就殿、遅くなり申した。」
真田が、数人の兵を従え、脳天気な顔で近付いてくると、ずずという音が聞こえた。
その背、肩に担ぐ者等の足が、雨に濡れた地面を擦る音だ。
「ふぅ……流石に……四人は少々きつい。」
気を遣いながら、その者達を下ろし、うんと伸びをする。
姿が見えた折まさかとは思っていたが、その内の一人は、
あの何の役にも立たぬ自軍の兵だった。
肩にはきっちりと帯が巻かれ、ぼんやりとした顔で此方を見上げたあと、
気まずそうに「へへ」と笑った。頭痛がした。
「あの者等は退いていったようだが、またいつ戻ってくるやもしれませぬ。
このような所、早く退散いたそう。」
「退散と言っても幸村様……街道を行くのは、見つかる可能性が……」
「何、心配は要らぬ。」
そう言って、真田は「役立たず」に目を向けた。
「役立たず」は表情を輝かせ、何故か此方に詰め寄った。
「お、俺の身内が、近くの船着き場にいるんです!船使えば早く帰れるでしょう!」
「わかった……わかったから近寄るな……」
手柄を示したいと言うよりは、生きて帰れる歓喜の溢れる暑苦しい顔が、
ずいずいと近付いてくる。はっきり言って面倒くさい。
「有り難いことに、我等にも船をお貸しくださるそうだ。皆、礼を申せ。」
真田の者等は、口々に礼を述べた。
「あの状況で、最善の策が何か、分からなかったわけでは在るまい。」
いつの間に意気投合したのか、何やらはしゃぎ回る兵等を眺めながら呟く。
「我は道理に反したことをしたとは、少しも思うておらぬ。」
真田は微かに笑んで、兵等に視線を向けた。
「確かに、戦に置いて「本陣」を守るためには、あのような判断が賢明といえましょうな。」
事実、自分が囮役を買って出ていたのだ。真田に道理が分からぬはずもない。
「だが……相応しくないと言われようと。甘いと、言われようと……」
真田の目が、此方を向いた。
「某、甘味好きでござる。」
悪戯の片棒を担げとでも言う時ような、意味深な笑み。
不思議とかんに障る物ではなく、同じ笑みを返して見せた。
「甘い物ならば、我も嫌いではないがな。」
立ち上がり、兵達の元へ歩み寄る。
「貴様等、いつまで遊んでいる。さっさと船着き場へ参るぞ。」
「元就様、足の方はもう大丈夫なん……ぶべっ!」
顔面にくすんだ緑の布を貼り付けられ、兵は口を閉じる。
「な、なんすかこれ!うわ!くさ!」
「使え。」
「はい?」
「いいから貴様はさっさと身内に話を付けてこい!」
「は、はいいいいい!!!!」
駆けていく兵の姿を眺めながら、真田が後ろで声を上げて笑っているのが分かった。
苛立ちも、傷の痛みも、そして……少々の恥も。
慣れぬ感情がない交ぜになり、非道く疲れていた。
早く帰って、棚に隠した大福を頬張りたいと、思った。
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